聖書通読

2008年6月20日 (金)

エレミヤ書27章~42章

13日 27章~29章

14日 30章~31章

15日 32章~33章

16日 34章~37章

17日 38章~39章

18日 40章~42章

19日 43章~46章

20日 47章~48章

ってかんじで読みました♪

この辺を読んでいると、神様から離れたら救いがないってことがよく分かるの。

で、ふと思ったんだけど、神様を知る機会がなかった人たちってどうなっちゃうのかな?

たとえばキリスト教が入ってくる前の日本の人とか。

その時代の日本にキリスト教って概念がなかったのに、「君たちは仏教とか神道とかほかの神々に仕えていたのだから救われないよ」っていうのはあんまりだよね。

今の時代だって、もしかしたら神様を本当の意味で知ることができない人がいるかもしれない。

そういう人たちはどうなっちゃうんだろう…?

ちょっと考えてみた↓↓

①人間はみんなアダムとイブから分かれ出ているのだから、誰しも神様を知っているはず。知らない人は途中で神様から離れたのだから、それはその人(および先祖)の罪。

また、今の時代はキリスト教という概念を知らない人は(たぶん)いないから、神様を知ろうとしないということが悪い。

②神様を知らなくても、善悪の分別はあるはず。だから、その社会で道徳的に生きていけば救われる。

③死んだあとに悔い改めるチャンスがある。

うぅーん。どれも微妙w

昔のことについては何ともいえないけど、今の未信者さんについてはクリスチャンが祈っていく必要があるよね。。。

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2008年6月13日 (金)

エレミヤ書24章~26章

6月11日 24章

6月12日 25章~26章

26章では神様がエレミヤを通じて神から離れた人々を立ち返らせようとするの。

「彼らがそれを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしは、彼らの悪い行ないのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直そう。(エレミヤ書26:2-3)」

この箇所からわかるように、神様は人々に悔い改めのチャンスを与えたんだ。

神様の憐れみがあらわれてるよね。

でも祭司や預言者はエレミヤの言葉を聞いても信じなかったんだ。

そしてエレミヤを死刑にしようとした。

彼らは神様の憐みに気がつかず、「自分たちに災いが下るなんてとんでもない!」とエレミヤの言葉を拒絶したんだね。

こんな風に、悪いところから目をそむけようとしていると、神様の憐れみを見落としてしまうかもしれない。

罪を犯したらそれを受け入れて、悔い改めなきゃね。

ちなみにエレミヤは殺されそうになっても語るのをやめなかったんだけど、彼の言葉を受け入れた人の訴えによって死刑にならなかったんだ。

あと、26章の最後の部分にウリヤという預言者のことが少し書いてあるんだ。

彼はエレミヤと同じような予言をしたんだけど、殺されそうになって逃げてしまったの。

でも彼は追ってきた人々に捕まって、結局殺されてしまったんだ。

殺されそうになっても預言を続けたエレミヤと逃げたウリヤ。

なんだか行動も結果も対照的だよね。

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2008年6月10日 (火)

エレミヤ書23章

気がついたらもう聖書の半分読んだんだねgood

半年で半分だから今年中に読み終わりたいなhappy01

でも最近1章ずつしか読んでないから難しいかも…?

今日読んだ中で印象に残ったのは「わたしは近くにいれば神なのか、ー主の御告げ。ー 遠くにいれば、神ではないのか。人が隠れたところに身を隠したらわたしは彼を見る事ができないのか。ー主の御告げ。ー 天にも地にも、わたしは満ちているではないかー主の御告げ。ー(23:23-24)」ってとこ。

なんかうまく言えないけど、私たちがどうであれ神様は神様なんだよ。笑

自分がどこにいても神様は変わらずそこにいる。

時間も場所も、何をしてるかとかどんな気分だとかそんなの関係なしに神様は私たちを見ている。

だから、苦しいときとかは神様を頼ればいいし、悪いことをしたら謝らなくちゃいけない。

嬉しいことがあったら感謝すればいいし、願いがあれば祈ればいい。

そんな風に、神様は神様で、いつも一緒にいてくれるってことを忘れずにいれたらいいと思うなshine

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2008年6月 9日 (月)

イザヤ書60章~66章、エレミヤ書1章~22章

1か月近く更新が止まってたwobbly

うーん…もうちょっとこまめに色々書きたいなぁー。

聖書は一日5月13日から1日1章ずつよんでエレミヤの22章まで進んだよsun

この中でエレミヤの1:7が印象に残ったんだwink

「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。」

若くても、知識や能力がなくても、神様が遣わされたのなら、神様は私たちを助けてくれる。

仔猫は「自分じゃできない…」とか思っちゃうことがあるんだけど、自分の力でなにかをやる必要はないんだよね。

必要な力を神様が与えてくれるんだup

何かやるとき、祈って神様に力をもらいながらやっていけばいいんだhappy01

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2008年5月12日 (月)

イザヤ書57章~59章

「『なぜ、私たちが断食したのに、あなたはご覧にならなかったのですか。私たちが身を戒めたのに、どうしてそれを認めてくださらないのですか。』見よ。あなたがたは断食の日に自分の好むことをし、あなたがたの労働者をみな、圧迫する。(58:3)

今日は28章が印象に残ったの。

28章ではこの後、主に喜ばれる断食とはどのようなものか書かれているんだ。

どんなに断食をしても、形だけの心が伴わない者なら意味がない。

悪を取り去り、憐れみをもって人に接することが大切なんだ。

断食に限らず、お祈りとか賛美とか、ただ言葉を並べるだけとかただ歌うだけじゃなくて、心から捧げることが大事なんだね。

そして普段から神様に喜ばれるような行いをするように心がけることも必要なんだ。

そうすれば神様は私たちを祝福してくれるんだよね。

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2008年5月10日 (土)

イザヤ書43章~52章

久しぶりの更新!

5月1日~5月10日まで1章ずつ読んだよ!

うーん、学校始ってからペースが落ち気味。

しかも更新もさぼり気味sweat02

それに預言書ってちょっと難しいよねー。

でもがんばります!

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2008年4月26日 (土)

雅歌1章~8章,イザヤ書1章~17章

すごく久しぶりの更新ー(●´▽`●)笑

なんか風邪をひいちゃって、しばらくダウンしてたー。

新学期早々、授業も休んじゃったし…(-_-;)

なんか春休みの終わりも風邪ひいてたし、最近体弱ってるのかなー?

でも今まで滅多に病気なんてしなかったのに。

読んだ箇所~↓↓

4月16日 雅歌1章~3章

4月17日 雅歌4章~8章

4月18日 イザヤ書1章~2章

4月19日 イザヤ書3章~4章

4月20日 イザヤ書5章~6章

4月21日 イザヤ書7章~10章

4月22日 イザヤ書11章~12章

4月23日 イザヤ書13章~14章

4月24日 イザヤ書15章

4月25日 イザヤ書16章

4月26日 イザヤ書17章

なんかイザヤ書に入ってからペースが遅いねー…(^^ゞ

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2008年4月16日 (水)

伝道者の書1章~12章

今日は伝道者の書を読んだの~♪

伝道者の書は、なんだかすごく哲学的。

内容はソロモンさんの人生観みたいな感じなんだけど、なかなか奥が深くて面白かったー。

ソロモンは王様になって、邸宅を建てたり、畑や果樹園を造ったり、諸州の金や銀や宝を集め、多くの奴隷や妻を手に入れた。

「私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。 (2:10)」とあるように、ソロモンはやりたい事をやりたいようにやっていたんだ。

でも、あとになってそれを振り返ったとき、ソロモンはそれをむなしいと言っているんだ。

どんな楽しみも、富も、労苦も、知恵も、知識も、全部むなしいものだと言ったんだ。


人間の人生は有限だから、どんなに富を蓄えても、どんなに働いても、それは生きている間にしか喜べない。

知恵をもって生きても、愚かに生きても、結局最後はみな同じように死んでいく。

人は知恵や知識を追い求め、新しいことを学んでいくように思える。

でも、それは既にあるものを追及しているにすぎない。

新しいものは何もないんだ。


だからこの世での快楽や知識を求めて努力していっても、それはむなしいことなんだ、ってソロモンは思ったんだね。



だけど、ソロモンは人生はむなしいから生きることには価値がない…とは思わなかったんだ。

「見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。(5:18-20)」

自分が欲しいものをどんどん求めるのではなく、与えられた人生の中で幸せを見つける。

そうすることによって神様が人生をむなしいものから幸せなものへと変えてくれるんだ。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。(3:11)」とあるように、神様の計画はすべてよいものだから、神様の御業を受け入れていくことが幸せなんだ。

自分で神様の計画を見極めたり、この世の理屈を探し求めたりしても、、それは不可能なこと。

人間の能力には限界があるから、限りのない心理を追い求めても、すべてを得ることはできない。


すべてを知りうるのは神様だけ。

そして、神様は私たちが幸せになれるように、必要なものを与えてくださっているんだ。

「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。(12:13‐14)」

むなしくない幸せな人生を送るには、神を恐れ、そして聖書の言葉を守って生きていくことが大切なんだね。

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2008年4月15日 (火)

箴言21章~31章

今日で箴言終わりっ!!

今日読んだところで残ったのは、「あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。(箴言27:5)」ってところ。

ひそかに愛するよりも責める方がいいってちょっとビックリ。

箴言のほかのところに「ねじれ者は争いを巻き起こし、陰口をたたく者は親しい友を離れさせる。(箴言16:28)」とか「たきぎがなければ火が消えるように、 陰口をたたく者がなければ争いはやむ。(箴言26:20)」とか、陰口について書かれているところがいくつかあるんだ。

本人の知らないところでその人の悪いことを言うのは良くないけど、本人に直接言うのはいいことなんだね。

陰で言うのは楽だし、陰口を楽しむ人もいる。でも、誰かを責めるということは難しくて嫌なことだと思う。

でも、悪いところを本人に直接言うことによって、言われた人は得られるものがあるんだよね。

それに陰での悪口ってホントかウソか分からないようなことまで言われそうだけど、直接言うならそんなことはないし、弁解もできる。

人をあからさまに責める…っていうか悪いところを指摘したりするのって勇気がいるから難しいと思う。

でも、せめて陰で悪口を言うようなことはしないようにしなくちゃ。

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2008年4月13日 (日)

箴言18章~20章

「人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、そのくちびるによる収穫に満たされる。 死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。(箴言18:20‐21)」

箴言の中には“言葉”とか“口”とかいう言葉がたくさん出てくる。

聖書の中で言葉っていうのはとても重要なものなの。

創世記でも、神様は言葉によって世界を創っているんだ。

人間は悪いことやばっかり口にしていると、心も悪くなっていってしまう。

それに、周りの人の心にも影響することがある。

それに嘘や悪口は、神さまから見て罪になる。

悔い改めずに罪を犯し続ける人は神様に救われることがない。

だから、「死と生は舌に支配される」なんだね。

悪口や嘘などの悪いことばっかり口にするんじゃなくて、感謝や祈り、そして悔い改めの言葉を口にするようにしていくことが、主にあって“生きる”ための方法なんだね。

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2008年4月12日 (土)

箴言13章~17章

「富んでいるように見せかけ、何も持たない者がいる。貧しいように見せかけ、多くの財産をもつ者がいる。(箴言13:7)」

箴言ってクリスチャンじゃなくても、同調できるようないい言葉がいっぱい書いてあるの!

この言葉も、宗教とか興味ない人でも納得できると思うんだ。

いくらお金をたくさん持っていても、それが幸せとは限らない。

むしろ、貧乏な人の方が心が豊かだったりするんだよね。

一見、外から見て幸せそうでも、本当に幸せかは本人たちにしかわからないんだ。

箴言の14:12と16:25に「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」って言葉があるんだ。2か所ともまったく同じことが書いてあるの。

2回も書いてあるってことは、とっても大事なことってことなんだよね。

出世したり、好きな人と結婚をして幸せに暮らす。そういう人生は「人の目にはまっすぐに見える道」だよね。

でも、それは本当に正しい道とは限らないんだ。

出世したりすることが悪いってわけじゃなくて、心の問題だと思うんだよね。

自分の幸せのために、嘘をついたり人を裏切ったり・・・そういうことってあると思う。

最終的に幸せを掴んで、人生で成功したように見えても、神様からみたらそういう人生はまっすぐなんかじゃない。

貧しくても信仰と知恵をもって正しく生きる。

そういうのが本当にまっすぐな道なんだろうなぁー(*´▽`*)

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2008年4月11日 (金)

箴言10章~12章

今日読んだところは正しい者と悪い者について書かれてたよ♪

正しい人は知恵とか思慮があり勤勉で、祝福される。

悪者は思慮がなく、偽りを言う。そして、最後には滅びてしまう。

そんな感じのことが書いてありましたー。

あと、「財産は激しい怒りの日には役に立たない。しかし正義は人を死から救い出す。(箴言11:4)」っていうのが印象に残ったの。

お金とか財産に限らず、地位とか名誉とか名声とか、人間的に価値があるようなものは天国には持って行けない。

それどころか天国に行く妨げにすらなりうる。

だから、いくらこの世でそういうものを蓄えても、最後には価値のないものになっちゃうんだ。

でも、正義を行い正しい道を進めば、その人は救われるんだ。

やっぱり「自分の利益のためには手段を選ばない!」って生き方よりも「正義を貫く!」みたいな生き方のほうが、結局は幸せになれるんだよねー。

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2008年4月10日 (木)

箴言1章~9章

今日から箴言!

箴言はソロモンさんが書いただけあって、知恵とかについてたくさん書いてある♪

「主を恐れることは知識の初めである。(箴言1:7)」ってあるように、知恵っていうのは神様に由来するものなんだよね。

主を恐れることが知識の初め、逆に言うと主を恐れない者は愚かってことかなー。

あと、「わたしを愛する者を、わたしは愛する。(箴言8:17)」って書いてあるんだけど、とっても素敵なことだよね。

人間だったら、自分が誰かを好きになっても、その人が自分のことを好きだとは限らない。

でも、神様は「わたしを愛する者を、わたしは愛する。」って言ってるの。

いい事をしたら愛するとか、出来のいい人を愛するとか、そんな条件なんてなんにもなくて、ただ神様を愛するだけで愛してもらえるんだ。

なんか嬉しいな♪

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2008年4月 9日 (水)

詩篇77篇~150篇

なんか最近、更新ペースが落ちて行ってる・・・sweat01

でも聖書は毎日読んでたんだ♪詩篇読み終わりましたー!!

4月2日 77篇~78篇

4月3日 79篇~80篇

4月4日 81篇~89篇

4月5日 90篇~102篇

4月6日 103篇~105篇

4月7日 106篇~108篇

4月8日 109篇~136篇

4月9日 137篇~150篇

昨日、今日でたくさん読んだなぁー(●´▽`●)

詩篇はほかの箇所に比べたら長いのと、最近読むペースが落ちてたのとでかなり時間がかかった気がするなー。

速く読めばいいってもんじゃないけどねー。

明日からは箴言!

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2008年4月 1日 (火)

詩篇73篇~76篇

「私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。あなたは私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。(詩篇73:21‐24)」

今日読んだ中で印象に残った箇所。

ここに書かれている“私”っていうのはアサフっていう人のことなんだ。

アサフさんは苦しくてどうしようもないときでも、神様ら離れなかった。

そしたら、神様もずっとアサフさんのことを導いてくれたんだ。

私たちも、苦しいときでも神様から離れなければ、神様が導いてくれる。

道がわからなくなった時は神様が手をひいてくれるんだね。

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2008年3月31日 (月)

詩篇64篇~72篇

「神よ。あなたの御前には静けさがあり、シオンには賛美があります(詩篇65:1)。」

今、現実には静けさなんかなくて、外に出れば人がいっぱいでザワザワしてて、家の中でもテレビとかパソコンとかからいろんな情報が入ってきて、なんだかごちゃごちゃしてる。

しかもニュースとかの情報は事件とか事故とか悪いことばっかり。

でも、神様の前には静けさがある。

ザワザワごちゃごちゃした環境の中でも、神様のほうを向けば、静けさがあるんだ。

だから世の中にあふれる悪い情報に惑わされないで、聖書にある正しい情報を選んで神様を見失わないようにしなきゃ。

そうじゃなきゃ本当に大切なことが見えなくなってしまう。

仔猫は最近、世の中のごちゃごちゃした環境に埋もれかけてたから、気をつけなきゃ…sweat01

最近、聖書読む量が減ってきたけどこれからはもうちょっといっぱい読むぞー!!happy02

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2008年3月30日 (日)

詩篇41篇~63編

ずっと更新サボってましたcoldsweats01

でも聖書はちゃんと毎日読んでたんだよっ!

21日 41篇

22日 42篇

23日 43篇

24日 44篇

25日 45篇

26日 46篇~48篇

27日 49篇~50篇

28日 51篇~54篇

29日 55篇~61篇

30日 62篇~63篇

ぅ…。最近ちょっと読んでるの少なめ…。

なんか今までのところは物語的で読みやすかったんだけど、詩篇はちょっと停滞気味…sweat01

でも、ひとつひとつすごくいいことが書いてあるなーって思う。

詩篇ってひたすら神様をほめたたえてる感じで、神様の素晴らしい部分が直接的に書かれてるんだよねー。

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2008年3月20日 (木)

詩篇37篇~40篇

「悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな(37:1)。」

今日の出だしの言葉。

読み始めていきなり、考えさせられる言葉だなーと思ったの。

普段、些細なことでイラッってしたり、ヤダなーって思うことってあるよね。

ましてホントに悪いことをされたら腹が立つ。

でも、「悪を行なう者に対して腹を立てるな。」って神様は言ってるんだよね。

悪い人に対する裁きは神様が行うから、静まって主にゆだねなさいってことなんだよね。

「怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ(37:8)。」とあるように、腹を立てることは罪につながるだけなんだ。

だけどそれってすごく難しいと思う。

やっぱり腹が立つときは立つしね。

でも、その感情を無理に抑えようとするのも違うと思うんだ。

怒りを心の中に抑え込むんじゃなくて、自分の正直な気持ちを神様にぶつければいいんじゃないかなって思うの。

39篇で、ダビデは「私は自分の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないために。私の口に口輪をはめておこう(39:1)。 」と言って、悪者の前で沈黙を守ったの。

でも、痛みや苦しみが増していって、ダビデは口を開くんだ。

だけどそれは悪者に対する反論とか怒りの言葉じゃないの。

神様に対して自分の苦しみを訴え、助けを求める言葉だったんだ。

怒りとか妬みとか、そういう感情を抑え込むことはできないかもしれない。

だけど、それを人間にぶつけるんじゃなくて神様にぶつければ、きっと神様が助けてくれるんじゃないかな。

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2008年3月19日 (水)

詩篇35篇~36編

詩篇の最初のほうは、ダビデが書いたものが多いんだ。

35篇では、周りが敵ばかりで苦しい状況の中、主に助けを求めている。

ダビデさんは祝福されているときはそれを喜び、主に感謝をささげていた。

そして、苦しい時も主を忘れず、主にすがって生きていた。

そういう風に、常に神様を心にとめて生きていくってすごいなーって思う。

仔猫は、人間的な幸せに目をとめたり、苦しい時はいっぱいいっぱいで祈れないときとかがあるんだ。

でも、それじゃダメなんだよね。

ダビデさんみたいにいつも心の中心に神様がいるようにしなきゃね。

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2008年3月18日 (火)

詩篇29篇~34篇

今日も順調に詩篇を読み進めてます♪

「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました(詩篇30:11)。」

今日印象に残った箇所♪

神様は悲しみや嘆きも喜びに変えてくれるんだ。

だから、辛い時や苦しい時は神様のところへ身を避ければいいんだよね。

そうすれば神様は私たちを助けてくれるんだ。

あともう一か所。

「見よ。主の目は主を恐れるものに注がれる。その恵みを待ち望むものに(33:34)。」

神様の救いや恵みはそれを求める人に与えられるんだ。

神様の存在を信じて、人間の弱さや限界を受け入れて、神様に求める。

そういう心も必要なんだ。

苦しい時、自分で何とかしようとしちゃうことってあるけど、そうじゃなくて、ただ神様に求めるってことが大事なんだね。

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2008年3月17日 (月)

詩篇9篇~28篇

久しぶりの更新ー♪

ここしばらく忙しかったのと、風邪でダウンしてたのでパソコンに触ってなかったんだーsweat01

薬飲んだら大分マシになったけど、まだちょっと熱がある~。

でも、聖書はちゃんと毎日読んでました!!

13日 9篇~14篇

14日 15篇~20篇

15日 21篇~23篇

16日 24篇~25篇

17日 26篇~28篇

ってな感じで9篇~28篇まで進みました♪

詩篇は神様がどんなに素晴らしいかっていうのがすごく表れてるんだ♪

20:7に「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。」っていう言葉があるんだ。

財産とか能力とか、人は人間的なものを誇りたくなるけど、私たちが誇るべきものは神様なんだよね。

神様はどんなものにも勝って素晴らしいんだ♪

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2008年3月12日 (水)

詩篇1篇~8篇

今日から詩篇!!

詩篇は結構量があるから大変そうーsweat01

でも詩篇は有名な箇所とか賛美のもとになってる箇所とかがいっぱいあるから、見覚えのある文がいっぱいあって楽しい♪

そういえば、詩篇に「セラ」って言葉がいっぱい出てくるんだけど、意味を知らなかったから調べてみたんだ。

へブル語かなんかで「休止」っていう意味の音楽用語なんだって。

詩篇は賛歌とかがいっぱいあるから音楽用語が出てくるのかなー?

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2008年3月11日 (火)

ヨブ記35章~34章

今日でヨブ記終わりー。

ヨブ記の最後で、神様はヨブに語るの。

「わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることが出来るなら、告げてみよ(38:4)。」

神様はこんな風に、ヨブが神様のなすことについて何を知っているか、何ができるのかといったことを問うの。

ヨブは神様の問いかけに対して42章で答えるんだ。

「あなたは、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました(42:2)。」

ヨブは神様の問いかけによって、自分の無知を知ったんだ。

そしてヨブは悔い改めるの。

ヨブはこれまで「自分は悪を行っていなかったのに、なぜ自分はこんなひどい目にあうんだ」という気持ちを持っていたと思うの。

ヨブは友人たちとの語らいの中で、ずっと「自分はこんな目にあうようなことはしていない」ということを主張していた。

彼は自分が正しいということを主張して、神様が自分をこんな目にあわせるのは不当なことだ、と訴えたかったんじゃないかな。

「あなたはわたしのさばきを無効にするつもりか。自分を義とするために、わたしを罪に定めるのか(40:8)。」と神様も言っているしね。

だけど、神様からの問いかけでそれが間違えだったと気が付いた。

神様は全知全能で、その計画は完全なもの。

だから、この裁きも不当なものじゃなかったんだと気が付いたんだね。

ヨブが苦しい目にあったのは信仰が試されることによって後に益となるためなんだと思う。

ヨブは最終的に、困難に逢う前の倍の財産を手にいれ、幸せになったんだ。

そしてヨブはこの試練を通して、神にことをゆだねるってことを知ったんじゃないかな。

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2008年3月10日 (月)

ヨブ記22章~34章

「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである(28:28)。」

今日読んだ中で印象に残ったことば。

仔猫はときどき、自分がどうすればいいか分んなくなって悩んだりすることがあるの。

そういうとき、「神様、仔猫に知恵を与えてください!」って祈るんだ。

でも、知恵っていうのは判断力とか以前に、『神を恐れること』なんだね!!

ソロモンさんとかも、神様を恐れて歩んでいたから知恵を与えられたんだろうねー。

正しい歩みっていうのは「主を恐れる」ことからはじまるんだ。

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2008年3月 9日 (日)

ヨブ記12章~21章

今日もヨブさんと友人のやり取りのところ。

相変わらずお互い同じようなことを延々と主張るような気がするw

今日読んだところで印象に残ったのは16:19-21のヨブの言葉。

「今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。 私の友は私をあざけります。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。その方が、人のために神にとりなしをしてくださいますように。人の子がその友のために。」

これってイエス様のことだよね。

イエス様が聖書に出てくるのは新約聖書だから、ヨブはイエス様のことを知らないはずなんだ。

でも、とりなしをしてくれる方がいるっていうのは分かってたんだね。

あと「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを(19:25)。」という箇所の「贖う方」っていうのもイエス様のことだよね。

旧約の時代、まだイエス様が生まれてさえいない時代に、自分と神を仲介してくれる方の存在を感じていたなんて、ちょっとビックリ。

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2008年3月 8日 (土)

ヨブ記8章~11章

今日もヨブ記。

今日読んだところはヨブの友人とヨブのやり取りが書かれているんだ。

友人たちは「ヨブが不幸な目に逢っているのは、ヨブが悪いことをしたから」っていうの。

だから早く悔い改めろって。

でも、ヨブは「自分は悪いことをしていない」と主張するんだ。

確かに、友人たちの言ってることも一理あると思うんだ。

罪を犯せば相応の災いが下る。

でも、災いがあったからといって、それが罪のためかは人間には分からないんだ。

災いという結果だけを見て、原因として罪があったって決めつけることはできないと思うの。

ヨブの友人たちは善意から呼ぶにアドバイスしていたんだと思うんだけど、結果としてその善意が、ヨブを責める形になっちゃってるんだよね。

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2008年3月 7日 (金)

ヨブ記1章~7章

今日からヨブ記。

ヨブさんはとても神様に忠実な人だったの。

すごく祝福されて、子供や財産に恵まれていた。

だけどある時、サタンが神様に言ったんだ。

「ヨブが神様を恐れるのはあなたが祝福したからに違いない。彼のすべての持ち物を取り去ってしまえば、ヨブはあなたを呪うに違いない。」

神様はそれをきいて、ヨブの持ち物をサタンの好きなようにさせたんだ。

結果、ヨブの財産も息子も、全部なくなってしまった。

それでもヨブは神様に罪を起こすようなことをしなかった。

またある時サタンが神様に言ったんだ。

「ヨブ自身を打てば、彼はあなたを呪うに違いない。」

そこで、神様はヨブの身をサタン好きなようにさせたんだ。

ヨブの全身には悪性の腫瘍ができ、ヨブは苦しんだ。

それでもヨブは神様を呪ったりしなかったの。

ヨブは義人で、悪から遠い人だった。

彼が苦しむようになったのは彼の罪のせいじゃないんだ。

サタンによって、ヨブは試練にあわせられたの。

ヨブ記は必ずしも「悪いことをしたから悪い目にあう」わけじゃないってことを示してるような気がする。

逆に言うと、「良いことをするから良い目にあう」ってわけじゃないんだよね。

「こういうことをしたから、神様はそういうことをするんだ」って訳じゃなくて、人間には分からないところで神様の計画とか、試みとかが動いてるのかもしれない。

うーん、ヨブ記って考えだすとちょっと難しいかも…。

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2008年3月 6日 (木)

ネヘミヤ記1章~13章、エステル記1章~10章

今日はネヘミヤ記とエステル記。

ネヘミヤ記はエルサレム再建の話。

ネヘミヤはペルシアで王に仕えていたんだけど、捕囚からエルサレムに残った人たちが非常ん困難な状況であるということを聞くんだ。

すると、ネヘミヤは悲しみ、王にエルサレムを再建させてくれるように頼むの。

ネヘミヤの祈りがきかれ、王さまは快く彼を送り出してくれたんだ。


エステル記はこの前合宿でやったろころだったの♪

この話はエズラ記の6章と7章の間の出来事なんだって。


バビロン捕囚のあとにユダヤ人が解放されたとき、エルサレムに帰らなかった人々の話なんだ。

だから、エズラ記とか歴代誌とかを読んだあとに読むと、時代背景とかがちょっと分かった気がする♪

エステル記はプリムの祭りの由来について書かれてるんだ。

ユダヤ人はハマンという男の策略により、根絶やしにされようとしていた。

だけど、王妃エステルによってその計画は阻止され、逆にユダヤ人の敵が滅ぼされるんだ。

この悲しみが喜びとなった出来事を祝うのがプリムの祭りなんだって。

自分たちが滅ぼされそうだったのが一転して、自分たちの敵が滅んだ。

それってとってもすごいことだよねー。

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2008年3月 5日 (水)

エズラ記1章~7章

今日からエズラ記!

今日読んだところはバビロン捕囚の後の話。

バビロンにつれていかれたユダヤ人が、エルサレムに戻ってくるんだ。

ペルシヤのクロス王がユダヤ人に「エルサレムに帰って主の宮をってるように」と命じたんだ。

そしてユダヤ人たちは命じられたとおりイスラエルの再建をおこなった。

エズラ記は人の名前とかの記録がいっぱいあって、読むのが大変だったけど短かったから以外とすぐに読めた♪

内容は歴代誌の続きみたいな感じでちょっとむずかしかったー。

明日はネヘミヤ記だ~♪

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2008年3月 4日 (火)

歴代誌Ⅱ30章~36章

今日で歴代誌終わり!!

歴代誌はイスラエルの歴史を追っていく感じでちょっと難しかった…。

仔猫は歴史はニガテなんだー。バビロン捕囚とかもよく知らなかったし。

でも、聖書を読んでるとちょっと歴史に興味が湧いてくる!!

今度バビロン捕囚とかもうちょっと勉強してみたいな。

2年になったらキリスト今日の歴史の授業とかとってみようかなー。

明日からはエズラ記!!

エズラ記ってあんまり開いたことないかも…coldsweats01

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2008年3月 3日 (月)

歴代誌Ⅱ10章~29章

今日読んだところは、ユダとイスラエルが別れた後の王様たちのお話だったの。

歴代誌は列王記と結構かぶってるから、前に読んだところの復習みたいな感じ。

2回、同じ内容を読んでも感じ方がちょっとずつ変わるからおもしろい。

この時代、王さまたちの中にはほかの神々を拝むようになってしまった人が多かったの。

でも、中には神様の御心にかなうことをした人もいたんだ。

けど、そういう王さまの中にも、最終的には神様を捨ててしまったりする人がいたんだ。

25:2に、アマツヤ王についてこう書かれてる。

「彼は主の目にかなうことを行ったが、全き心を持ってではなかった。」

アマツヤはやってることはよかったんだけど、それは神様の御心を見ながらじゃない。

彼は律法とか形式的なものを重視していたんじゃないかな。

25:4に律法によって行動したとこが書かれているし。

大切なのは善い行いとか立派なふるまいじゃなくて、『神様の御心』を求めるってことなんじゃないかな。

心は神様のほうを向いていなくても、それこそ神様を知らない人だって善いことは出来る。

でも、それは人間的に善いことだから、ずっとは続かない。人間は不完全だから。

だけど、神様を見上げて神様の御心を行うなら、それは最終的にすばらしいものになるんじゃないかなー。

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2008年3月 2日 (日)

歴代誌Ⅱ1章~9章

「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう(歴代誌Ⅰ7:14)。」

今日読んだ中で印象に残った言葉。

ソロモン王の祈りに対しての、神様からの応答なんだ。

人間は神様以外のものに目を向けて、罪を犯してしまうことがある。

だけど、ちゃんと悔い改めて神様の元に戻ってくるなら、神様はちゃんと聞いてくださるんだ。

仔猫は自分が悪い時でもなかなか認められなかったりするんだけど、それじゃダメなんだよね。

罪を認めて、「許してください」って心を持つことが必要なんだよねー。

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2008年3月 1日 (土)

歴代誌Ⅰ13章~29章

きょうは歴代誌の続き。

ダビデ王の行ってきたことをあらためて見ていくと、彼はホントに喜んで神様に仕えてたんだって思う。

神の箱を運ぶ時も、喜び踊ったし、神の家を建てるために喜んで材料を用意し、金や銀を捧げた。

仔猫は献金をするときとか、なんか習慣になってるからやるって感じになっちゃってたんだけど、ダビデさんみたいに喜んで捧げたいなぁって思ったの。

献金以外でも、日々、神様を喜んでいけたら素敵だよね。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそキリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです(テサロニケⅠ5:16-18)。」

辛いときとか苦しいときとかには難しいことかもしれない。

けど、そんな時こそこの御言葉が必要なんだろうなー。

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2008年2月29日 (金)

歴代誌Ⅰ1章~12章

今日から歴代誌!!

歴代誌はいろんな人の名前がいっぱい書いてあって、ちょっと難しい…。

でも知ってる名前をみつけるとちょっと嬉しくなる♪笑

今日読んだところは、イスラエルの家系とサウルとかダビデとかの辺りの要約みたいな感じだったかなー。

とにかく人の名前がいっぱいあって大変だった!

でも、イスラエルの息子たち12人から、ここまでたくさん人が増えてったってすごいよねー。

神様はイスラエルに「あなたの子孫を星のように増やす」って言ったんだけど、ホントにそうなってるんだなーって思った。

よく考えたら息子一人から一つの部族が出てるっていうことからしてすごいよね。

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2008年2月28日 (木)

列王記Ⅱ14章~25章

今日は列王記Ⅱの後半。

ユダとイスラエルで、民は他の神々に仕えたりしていた。

そんななか、ユダの王ヒゼキヤは主の目にかなう行いをした。

彼は他の神々の祭壇を取り除き、主の祭壇を立て直したんだ。

「ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった(18:5)。」ってあるように、彼は歴代の王たちがやらなかったことをやり、主の命令を守り行った。

アッシリアがエルサレムに攻めてきたとき、アッシリアの将軍はイスラエルの主をあざけり、降伏するよう促したんだ。

だけどヒゼキヤ王はアッシリアに降伏しなかった。ヒゼキヤは主を冒とくしたアッシリアの言葉を神に訴えるの。

すると、神様は祈りを聞き、主の使いがアッシリアの軍勢を打ったんだ。

また、ヒゼキヤ王が病気になった時、預言者イザヤによって「あなたは死ぬ。もう治らない。」と宣告されるんだ。

ヒゼキヤ王は神に祈り、大声で泣いて訴えたんだ。

すると、神様はイザヤに「引き返して、わたしの民の君主ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、主は、こう仰せられる。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたをいやす。三日目には、あなたは主の宮に上る…(20:5-6)。』」と言ったんだ。

するとヒゼキヤはそのことが行われるしるしを求めた。

神様はヒゼキヤのために、そのしるしとして日時計の影を十度もどされたの。

つまり、十度分時間が戻ったんだよね!すごいなー。

また、そのころヒゼキヤが病気だと聞いてバビロンの王がお見舞いを送ってきたんだ。

ヒゼキヤはバビロンの使いの者に、宝庫や武器庫など、国中の物を見せたんだ。

このとき預言者イザヤがこう言うんだ。

「見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで、たくわえてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日が来ている。何一つ残されまい、と主は仰せられます。また、あなたの生む、あなた自身の息子たちのうち、捕えられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者があろう(20:17-18)。」

これはバビロン捕囚のことを予言しているんだ。

バビロン捕囚はヒゼキヤ王から六代あとの王さま、エホヤキンの時代に実行される。

これは24章に書かれているの。

バビロン捕囚が行われるずっと前に、すでに予言されていたんだ。

物事が起こるずっと前から神様の計画は動いているんだね。

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列王記Ⅱ1章~13章

今日は列王記の続き。

今日読んだところにはエリヤとエリシャ、二人に預言者が出てくるの。

列王記は王さまとかいろんな人がいっぱい出てきてちょっぴり難しいんだけど、エリヤとエリシャの話は面白いと思うんだ。

エリヤとエリシャは神様の道を歩み、いくつか奇跡を起こすんだ。

川を割ったり、死者を生き返らせたり…。

聖書の中で奇跡が行われるのは意外と多くなくて、この列王記とモーセとヨシュアの時代、それにイエス様とその弟子の時代だけなんだって。

エリヤは2章で死なずに天にあげられるの。

聖書の中で死ななかった人はエリヤとエノクって人の二人いるんだ。

エノクについては創世記に「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。(創世記5:24)」って書かれてるの。

ちなみに創世記のここら辺の個所には誰が誰を生んで何年生きたとかが書かれていて、エノク以外の人については「だれだれの一生は何年であった。こうして彼は死んだ。」っていう風に書かれているんだ。

だけど、エノクについてだけは「死んだ」っていう表現は使われてなくて、「神が取られた」って表現されているんだ。

詳しいことはわからないんだけど、彼は神様の御心にかなう生き方をし、神様に喜ばれるような人であった。

だから、神様は彼を死なずに天にあげたんだろうね。

エリヤも、列王記を読むと神様の御心にかなう生き方をしていると思う。

だからきっと、エリヤもエノクと同じで神と共に歩んだから、神によって天にあげられたんだね。

でも死なずに天に召されたって不思議だなー。

あと、エリシャさんも不思議なところがあるんだ。

13:21に「人々が、ひとりの人を葬ろうとしていたちょうどその時、略奪隊を見たので、その人をエリシャの墓に投げ入れて去って行った。その人がエリシャの骨に触れるや、その人は生き返り、自分の足で立ち上がった。」って書かれているの。

エリシャさんは死んだ後にも人を生き返らせたんだ。

死んじゃうと全部終わったって感じだけど、死んだあとにも奇跡が起こるんだ。

イエス様の十字架もそうだけど、死んだあとにも何かが起こるってすごいよね!

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2008年2月26日 (火)

列王記Ⅰ12章~22章

ソロモン王の死後、イスラエルは2つに分かれてしまう。

これはソロモンの罪のため、神がユダ以外の部族を彼の息子に与えなかったからなんだ。

ユダの王はソロモンの息子のレハブアム、イスラエルの王はヤロブアムとなったの。

だけど、二人とも神様の御心に背き、他の神々に仕えたんだ。

その後もしばらく神様の御心を行わない王さまが続いたんだ。

アハブがイスラエルの王の時代、エリヤという予言者がいたんだ。

彼はアハブ王に対して、イスラエルに飢饉があると予言したの。

そしてエリヤ自身は神様に命じられ、ケリテ川のほとりに身を隠したんだ。

エリヤは川の水を飲んで生きながらえた。

また、朝になると烏が彼にパンと肉を運んできたんだ。

川が枯れると神様はひとりのやもめがエリヤを養ってくれるって言ったの。

エリヤはツァレファテという町の門の前で、たきぎを拾い集めているやもめに出会ったの。

エリヤは彼女に水と食料を分けてくれるように頼んだんだ。

だけど、彼女の家にはパンがなく