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2008年2月

2008年2月29日 (金)

歴代誌Ⅰ1章~12章

今日から歴代誌!!

歴代誌はいろんな人の名前がいっぱい書いてあって、ちょっと難しい…。

でも知ってる名前をみつけるとちょっと嬉しくなる♪笑

今日読んだところは、イスラエルの家系とサウルとかダビデとかの辺りの要約みたいな感じだったかなー。

とにかく人の名前がいっぱいあって大変だった!

でも、イスラエルの息子たち12人から、ここまでたくさん人が増えてったってすごいよねー。

神様はイスラエルに「あなたの子孫を星のように増やす」って言ったんだけど、ホントにそうなってるんだなーって思った。

よく考えたら息子一人から一つの部族が出てるっていうことからしてすごいよね。

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2008年2月28日 (木)

列王記Ⅱ14章~25章

今日は列王記Ⅱの後半。

ユダとイスラエルで、民は他の神々に仕えたりしていた。

そんななか、ユダの王ヒゼキヤは主の目にかなう行いをした。

彼は他の神々の祭壇を取り除き、主の祭壇を立て直したんだ。

「ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった(18:5)。」ってあるように、彼は歴代の王たちがやらなかったことをやり、主の命令を守り行った。

アッシリアがエルサレムに攻めてきたとき、アッシリアの将軍はイスラエルの主をあざけり、降伏するよう促したんだ。

だけどヒゼキヤ王はアッシリアに降伏しなかった。ヒゼキヤは主を冒とくしたアッシリアの言葉を神に訴えるの。

すると、神様は祈りを聞き、主の使いがアッシリアの軍勢を打ったんだ。

また、ヒゼキヤ王が病気になった時、預言者イザヤによって「あなたは死ぬ。もう治らない。」と宣告されるんだ。

ヒゼキヤ王は神に祈り、大声で泣いて訴えたんだ。

すると、神様はイザヤに「引き返して、わたしの民の君主ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、主は、こう仰せられる。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたをいやす。三日目には、あなたは主の宮に上る…(20:5-6)。』」と言ったんだ。

するとヒゼキヤはそのことが行われるしるしを求めた。

神様はヒゼキヤのために、そのしるしとして日時計の影を十度もどされたの。

つまり、十度分時間が戻ったんだよね!すごいなー。

また、そのころヒゼキヤが病気だと聞いてバビロンの王がお見舞いを送ってきたんだ。

ヒゼキヤはバビロンの使いの者に、宝庫や武器庫など、国中の物を見せたんだ。

このとき預言者イザヤがこう言うんだ。

「見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで、たくわえてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日が来ている。何一つ残されまい、と主は仰せられます。また、あなたの生む、あなた自身の息子たちのうち、捕えられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者があろう(20:17-18)。」

これはバビロン捕囚のことを予言しているんだ。

バビロン捕囚はヒゼキヤ王から六代あとの王さま、エホヤキンの時代に実行される。

これは24章に書かれているの。

バビロン捕囚が行われるずっと前に、すでに予言されていたんだ。

物事が起こるずっと前から神様の計画は動いているんだね。

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列王記Ⅱ1章~13章

今日は列王記の続き。

今日読んだところにはエリヤとエリシャ、二人に預言者が出てくるの。

列王記は王さまとかいろんな人がいっぱい出てきてちょっぴり難しいんだけど、エリヤとエリシャの話は面白いと思うんだ。

エリヤとエリシャは神様の道を歩み、いくつか奇跡を起こすんだ。

川を割ったり、死者を生き返らせたり…。

聖書の中で奇跡が行われるのは意外と多くなくて、この列王記とモーセとヨシュアの時代、それにイエス様とその弟子の時代だけなんだって。

エリヤは2章で死なずに天にあげられるの。

聖書の中で死ななかった人はエリヤとエノクって人の二人いるんだ。

エノクについては創世記に「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。(創世記5:24)」って書かれてるの。

ちなみに創世記のここら辺の個所には誰が誰を生んで何年生きたとかが書かれていて、エノク以外の人については「だれだれの一生は何年であった。こうして彼は死んだ。」っていう風に書かれているんだ。

だけど、エノクについてだけは「死んだ」っていう表現は使われてなくて、「神が取られた」って表現されているんだ。

詳しいことはわからないんだけど、彼は神様の御心にかなう生き方をし、神様に喜ばれるような人であった。

だから、神様は彼を死なずに天にあげたんだろうね。

エリヤも、列王記を読むと神様の御心にかなう生き方をしていると思う。

だからきっと、エリヤもエノクと同じで神と共に歩んだから、神によって天にあげられたんだね。

でも死なずに天に召されたって不思議だなー。

あと、エリシャさんも不思議なところがあるんだ。

13:21に「人々が、ひとりの人を葬ろうとしていたちょうどその時、略奪隊を見たので、その人をエリシャの墓に投げ入れて去って行った。その人がエリシャの骨に触れるや、その人は生き返り、自分の足で立ち上がった。」って書かれているの。

エリシャさんは死んだ後にも人を生き返らせたんだ。

死んじゃうと全部終わったって感じだけど、死んだあとにも奇跡が起こるんだ。

イエス様の十字架もそうだけど、死んだあとにも何かが起こるってすごいよね!

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2008年2月27日 (水)

美しくない今と美しい未来と。

2月20日から22日にかけて、「奥多摩バイブルシャレー」というところで聖書研究会のサークルの合宿をしてきたよっsun

今回はエステル記について学んだのーbleah

集会も聖研もエステル記でエステル記づくしshine

エステル記は、エステルって女性のお話なの。

ユダヤ人のエステルは普通の人なんだけど、王妃になっちゃうの。

ある時、ハマンという男が個人的な恨みから、ユダヤ人虐殺を企てるんだけど、エステルによってユダヤ人虐殺は食い止められるんだ。

エステル記の中には「神」とか「主」とか「祈り」とか、宗教的な言葉が出てこないんだけど、すっごく鮮明に神様の存在が感じられるような箇所なの。

伝道者の書に「神のなさることは、すべて時にかなって美しい(3:11)。」って言葉があるんだけど、エステル記を読んでいると本当にそうだなぁって思えてくるんだ。

エステルは異郷の地で、辛いこととかもあったと思う。

ユダヤ人虐殺の命令を取り下げるように王さまに言いに行ったとき、エステルは命がけだった。

こんなふうに、人間的に見て辛いこと苦しいことっていっぱいあるけど、時が来ると、それらも益となる。

美しくない今でも、神様の時が来れば、きっと美しくなるんだ。

その苦しかったり辛かったりする時間の中で、神様の計画を知り、益となる時を待つために信仰を保つことが必要なんだ。

エステルは、神様の計画がなされるときまで、ちゃんと自分の信仰を守ったんだ。

神様の計画を知るとか苦難の中で信仰を保つとか難しいことかもしれないけど、心を神様に向けていれば、エステルみたいになれるんじゃないかな。

あと合宿のなかでデポーションをやって、その後で分かち合いをしたんだけど、仔猫の中で得るものがあって、よかったですup

やっぱり聖書を学ぶっていうのも大切だけど、分かち合いによって得られるものも大きいんだよねshine

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2008年2月26日 (火)

列王記Ⅰ12章~22章

ソロモン王の死後、イスラエルは2つに分かれてしまう。

これはソロモンの罪のため、神がユダ以外の部族を彼の息子に与えなかったからなんだ。

ユダの王はソロモンの息子のレハブアム、イスラエルの王はヤロブアムとなったの。

だけど、二人とも神様の御心に背き、他の神々に仕えたんだ。

その後もしばらく神様の御心を行わない王さまが続いたんだ。

アハブがイスラエルの王の時代、エリヤという予言者がいたんだ。

彼はアハブ王に対して、イスラエルに飢饉があると予言したの。

そしてエリヤ自身は神様に命じられ、ケリテ川のほとりに身を隠したんだ。

エリヤは川の水を飲んで生きながらえた。

また、朝になると烏が彼にパンと肉を運んできたんだ。

川が枯れると神様はひとりのやもめがエリヤを養ってくれるって言ったの。

エリヤはツァレファテという町の門の前で、たきぎを拾い集めているやもめに出会ったの。

エリヤは彼女に水と食料を分けてくれるように頼んだんだ。

だけど、彼女の家にはパンがなく、一握りの粉とほんの少しの油があるだけあったんだ。

彼女には自分と子供が食べるための十分な食糧すらなかったんだ。

だけど神さまは「主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない(17:14)。」と仰せられたんだ。

そして、その言葉のとおりになり、エリヤも彼女もその子供も、それを食べ生きたんだ。

神さまは、必要を満たしてくれるんだなーっていうことが感じられるよね。

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2008年2月25日 (月)

列王記Ⅰ5章~11章

今日もソロモン王のお話ー。

ソロモンは、神がダビデに約束したように、神の神殿を建てたんだ。

金や青銅の細工などがいっぱい使われて、とってもきらびやかなものだったんだ。

ここから神様が本当にソロモンを祝福していたんだなーっていうのが分かるよね。

神殿の中にはモーセの時代に作られた『神の箱』が運び込まれたの。

これが運び込まれた後、雲が主の宮に満ちたんだって(8:10)。

出エジプトとかにも雲の柱とか、雲がいっぱいでてきたけど、神様と雲は深い関係があるのかな?

12節ではソロモンが「主は、暗闇の中に住む、と仰せられました。」って言ってるの。

暗闇っていうのは直前に出て来ている雲のことだと思うけど、「主は暗闇の中に住む」っていうのは、ただ単に雲の中に神様がいたってことを示してるんじゃないと思うんだ。

神様自身は栄光があり、光り輝くお方。

だけど、人間は先の見えない暗闇の中で生きている。

神様は人間の道を照らすために、暗闇の中、つまり人間のそばにいてくださる。

そういう意味も含まれてるんじゃないかな。

ソロモンは神殿を建てた後、知恵をもってイスラエルを治め、他の国々とも友好的に接した。

でも、ソロモンは神様に駄目だといわれていたにもかかわらず、異教の民の女たちと結婚し、他の神々に使えるようになってしまったんだ。

結局、それによってソロモンの繁栄はソロモンの代で終わってしまうの。

どんなに立派になった人でも、些細なところから信仰を失ったりするんだね。

小さなことでも「ま、いっか。」って済ませちゃうんじゃなくて、ちゃんと心を清く保っていかないとね。

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2008年2月24日 (日)

列王記Ⅰ1章~4章

列王記ではソロモンが王になるんだ。

ソロモン王は有名だよね。

ソロモンは前の王様ダビデの息子なんだ。

彼は神様に何が欲しいかと言われたとき、イスラエルの民をさばく為の善悪を判断する心が欲しいって答えたの。

そこでお金がほしいとか、名誉が欲しいとか、長生きしたいとか言えば、神様はきっとそれを叶えてくれたともう。

でも、ソロモンはそういう自分のためのものではなく、王として、民のために必要な『知恵』を望んだんだ。

神様はソロモンの願いを聞き入れ、どんな人にも勝る『知恵』を彼に与えたの。

それだけじゃなく、ソロモンが願わなかった富と誉れをも与えたんだ。

だから、ソロモンは歴史に残る人になったんだね。

ダビデもそうだったけど、ソロモンのこの謙虚でへりくだった心は見習いたいよね。

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サムエル記Ⅱ21章~24章

今日でサムエル記は終わりっ!!

24章で、ダビデは神様に命じられてイスラエルの人口調査をするんだ。

でも、人口調査の後、ダビデは両親の咎めを感じ、主に許しを請うの。

人口調査が何で罪なのかなーって思えるけど、多分ダビデは「自分の民はこんなにも多くなった」っていう自己満心の気持ちがあったんだろうね。

サムエル記Ⅱ24:3でヨアブが「あなたの神、主が、この民を今より百倍も増してくださいますように。王さまが、親しくこれをご覧になりますように。ところで、王さまは、なぜ、このようなことを望まれるのですか。」とダビデに対して言っているけど、これは遠まわしにダビデの心を注意してるんだろうね。

でも、ダビデはあとから自分の罪に気がついて、ちゃんと悔い改めているんだ。

神様から命じられたことでも、神様に喜ばれないような心でやると罪になるんだね。

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2008年2月22日 (金)

サムエル記Ⅱ7章~20章

今日は昨日の続きも含めて7章から20章!

7章で、ダビデはナタンの助言に従い、神の家を建てようと思った。

だけどその夜、ナタンに主の言葉があったんだ。

神様はサムエルⅡ7:5~7で、神は今までイスラエル人をエジプトから導きつつ天幕にいたと言ってるの。7:9では、主はイスラエル人がどこに行っても共にいると言っている。

神様は家なんて必要ないし、神の家にとどまるということはせず、常に人々と共にいるんだね。

あと、神様は「わたしが、イスラエルの民のために一つの場所を定め、民を住みつかせ、民がその所に住むなら、もはや民は恐れおののくことはない(7:10)。」「主はあなたのために一つの家を造る(7:11)。」って言ってるんだ。

神様は人が作った家に住むのではなく、むしろ人のために家を造ると言っているんだ。

神は民のために場所を定め、その場所で民を守り繁栄させていくんだね。


11章で、ダビデはバテ・シェバという女を好きになるんだ。

だけど、バテ・シェバにはウリヤっていう夫がいたの。

にもかかわらず、ダビデは彼女を召し入れ、みごもらせてしまった。

またその後、ダビデは部下に手紙を書き、ウリヤを激戦区に送り出し、戦死するように仕向けたんだ。

もちろん、これは主の御心じゃないこと。

そこで、主はナタンを遣わし、ダビデに語りかけた。

「ある町にふたりの人がいました。ひとりは富んでいる人、ひとりは貧しい人でした。富んでいる人には、非常に多くの羊と牛の群れがいますが、貧しい人は、自分で買って来て育てた一頭の小さな雌の子羊のほかは、何も持っていませんでした。子羊は彼とその子どもたちといっしょに暮らし、彼と同じ食物を食べ、同じ杯から飲み、彼のふところでやすみ、まるで彼の娘のようでした。あるとき、富んでいる人のところにひとりの旅人が来ました。彼は自分のところに来た旅人のために自分の羊や牛の群れから取って調理するのを惜しみ、貧しい人の雌の子羊を取り上げて、自分のところに来た人のために調理しました(12:1-4)。」

この話を聞いて、ダビデは羊を奪った男に対して怒って「主は生きておられる。そんなことをした男は死刑だ。その男は、あわれみの心もなく、そんなことをしたのだから、その雌の子羊を四倍にして償わなければならない(12:5-6)。」って言ったんだ。

その言葉を聞いたナタンは「あなたがその男です(12:7)。」って言ったの。

この羊を奪った男っていうのはウリヤの妻を奪ったダビデ王と同じようなことをしてるんだよね。

神様はダビデを祝福しなんでも与えていたのに、ウリヤの妻を奪った。

そしてこれはダビデが男に対して言ったことを当てはめると、死刑に当たる罪なんだ。

ナタンはダビデが死ぬとまでは言わなかったけど、「神はダビデから妻を取り上げ、彼の友に与えるだろう」と言った。

そして「あなたは隠れて、それをしたが、わたしはイスラエル全部の前で、太陽の前で、このことを行おう(12:12)」と神様は言われたの。

仔猫はこの言葉がすごく印象に残ったの。

私たちは罪を犯すとき、後ろめたくてそれを隠そうとすることがある。

えも、神様はそれを全部知っている。

そして神様は隠さずに罪を罰せられるんだ。

罪に対する罰が常に人前で行われるわけじゃないんだろうけど、どんなに隠れたって神様の前では私たちの罪は明るみになるんだよね。

人間だから、罪を犯すこともあるけど、そういうときに隠そうとするんじゃなくて、自分から神様の前にそれを出して、悔い改めるのが大事なんだよね。


ダビデはこれを聞いて、自分の罪を認め、神様の前に悔い改めたんだ。

神様はダビデの命はとらなかったんだけど、「主の敵に侮りの心を起らせた」ということで彼の生まれてくる子供の命をとると言ったんだ。

ウリヤの妻バテ・シェバがダビデに産んだ子は、病気になり死んでしまったんだ。

ダビデは息子が死ぬまで必死に祈ったんだけど、子供が死んだあとはちゃんとそれを受け入れたの。

ダビデの部下は生きているときは息子の必死に祈っていたのに、なぜ子供が死んだらそれをやめたのかとダビデに言ったんだ。

ダビデは「子どもがまだ生きているときに私が断食をして泣いたのは、もしかすると、主が私をあわれみ、子どもが生きるかもしれない、と思ったからだ。しかし、今、子供は死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるであろうか。私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私の所に戻っては来ない(12:22-23)。」と答えたの。

こういうダビデの言動には、神様への厚い信仰が表れてるよね。

希望がある時は神様に必死に求めるけど、事がなされた後はそれを受け入れる。神様のなさることは最善だって受け入れるんだよね。

この祈り求める姿勢と、どんなに苦しく悲しいことでも神のなさることを受け入れるってい聖は見習いたいなぁ。

ちなみに、「神はダビデから妻を取り上げ、彼の友に与えるだろう」ということも現実のものとなり、ダビデはそばめ達を息子のアブシャロムにとられてしまうんだ。

アブシャロムはイスラエル人の心をつかみ、ダビデになりかわって王となったんだ。

その時、ダビデはエルサレムから逃げたんだ。

そしてアブシャロムは、アヒトフェルという人の「父上が王宮の留守番に残したそばめたちのところにおはいりください。全イスラエルが、あなたは父上に憎まれるようなことをされたと聞くなら、あなたに、くみする者はみな、勇気を出すでしょう(16:21)。」という助言に従って、王宮の屋上に天幕を張り、全イスラエルの前で王宮に残されたダビデのめかけのところにはいったの。

ここでも、神の言った罰がなされてるんだね。

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2008年2月21日 (木)

サムエル記Ⅱ6章

今日もダビデさんのお話。
6章の始めに、ダビデの部下が神の箱を運んだの。
運んでる途中、その箱がひっくり返りそうになったんだ。
その時、ダビデの部下の一人が神の箱を押さえたんだ。
すると、彼に神の怒りが下り、彼は死んでしまったの。
サムエル記Ⅱ6:7には「その不敬の罪のために…死んだ」って書いてあるんだ。
これは、神様を侮って、敬意を払わなかったからってことだよね。
主は生きている。
人間が造った石の像とかと違って、人の力を借りる必要はないんだ。
なのに彼は、「今、神の箱は俺が支えなきゃひっくりかえってしまう」って感じで押さえてしまった。
神様はこの神様を侮った行動に怒りを燃やしたんだね。


今日は本当は14章まで読んだんだけど、時間がないから6章の分だけの更新です。
明日、残りの章で考えたことを更新しますっ!

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2008年2月20日 (水)

サムエル記Ⅱ1章~5章

今日から3日間、サークルの合宿だから、携帯からの更新♪
だから短めにまとめようと思います♪

サムエル記Ⅱのはじめに、サウルの死がダビデに知らされたの。
サウルが死にかけてるとき、サウルにとどめをさしたって人がダビデのところにきたんだ。
多分彼はサウルの死がダビデにとって良い知らせになると思ったんだろうね。
だけど、ダビデは酷く悲しんだんだ。そして、サウルにとどめをさした人を殺してしまうんだ。
ダビデはサウルに命を狙われていたにもかかわらず、サウルを愛していたんだね。

サウルの死後、サウルに仕えていたアブネルという男がイシュ・ボシェテというサウルの息子をイスラエルの王にしたんだ。
それに対し、ダビデはユダの王となる。
ところが3章と4章でアブネルとイシュ・ボシェテが殺されてしまうんだ。
彼らを殺した人は、ダビデのためになるとおもったんだ。
でもダビデはサウルのときと同じように悲しみ、彼らを殺した者を殺した。
ダビデは自分の敵をも愛し、そして神の許可なく血を流すのを嫌ったんだね。
あと、今日気付いたをだけど、ダビデは戦いに行く時、いつも神様に伺いをたてているんだ。
ダビデは常に神様の御心を考えてるんだなぁ。

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2008年2月19日 (火)

サムエル記Ⅰ22章~31章

今日はダビデを殺そうとするサウルと逃げるダビデのお話。

サウルはダビデが自分に逆らおうとしていると思いこみ、ダビデの命を狙うの。

ダビデは各地を逃げ回るんだ。

途中、サウルに見つかりそうになったりするんだけど、そういうときはいつも神様がダビデを助けてくれるの。

サウルはダビデが自分に逆らう悪い心を持っていて、自分は正しいと思ってたんだと思うの。

サウルは神様が自分と共にいて、ダビデを自分の手に渡してくれると思ってたんだ。

でも、実際はサウルが罪を犯したとき、神様の霊はサウルを離れていってしまった。

一方、ダビデはサウルに命を狙われていても、敵対せずにいた。サウルは自分の主君であり、神様に油注がれた方だからといって、チャンスがあってもサウルに手を下したりしなかった。

この辺、二人の意識に差があるなぁって思う。

サウルはダビデを勝手に疑って殺そうとしてるのに、ダビデはそれでもサウルを憎んだりしなかった。

サウルは自分の利益とかに目をとめて行動しているのに対して、ダビデは常に神様の御心を考えて行動していたんだよね。

ダビデの信仰はすごい!

28章ではイスラエルとペリシテの戦いが起こりそうになるんだ。

そこで、サウルは神様に伺いを立てるんだけど、神様は答えてくれない。

だから、サウルは霊媒師に頼んで預言者サムエルの霊を呼び出してもらうんだ。

霊媒師が呼び出したサムエルの霊は、サウルが神に逆らったため、神が彼から去ったこと、王位はダビデに移ったこと、サウルはこのペリシテとの戦いで死ぬということを告げていった。

そして、この言葉は実現するんだ。

サウルはペリシテとの戦いで傷つき、もう勝てないと悟り自殺したの。

この28章は仔猫にとってすごく印象的だった。

キリスト教では占いとか霊媒とか、そういうのは嫌われるんだけど、この箇所では霊媒によって神の預言者が語るんだ。

神様は、どんなものでも用いられるんだよね。

占いでも霊媒でも悪霊でも、神様の御手の中でしか働けないんだ。

でもやっぱり、聖書で霊媒師が用いられるのは不思議な感じ。

あと、サウルが霊媒で呼び出したのがサムエルだったのも、印象的だった。

サムエルは、サウルにとって王様になるきっかけで、サウルが主に逆らうまでずっとサウルの力になっていたんだと思う。

だから、サムエルならなにかいいアドバイスをくれると思ったんだろうね。

でも、サムエルだってただの人間で、神様の言葉を預かって語っていたにすぎない。

神様に直接語りかけても答えてくれないってことは、サムエルを通じて神様の言葉を聞いてもいい答えが帰ってくるはずがない。

サウルはそういう部分が分かってなかったんだろうね。

きっと、神様の御心とかじゃなくて、いつも人間的で表面的なところしか見てなかった。

だから簡単に神様の命令に背いてアマレクを聖絶しないで戦利品を持って帰ったりするし、ダビデが疑わしく見えてきたりする。

もし神様の御心をちゃんと考えていたら、逆らったりしないだろうし、ダビデではなく自分の心が悪いことも分かったはず。

でも、サウルは自分の悪い部分から目をそらし、神様のことを受け入れられなくなっていったんだ。

人間は弱いから、時には間違ったことをしてしまうのは仕方がないこと。

でも、そのときにちゃんと自分の非を認めて、そのつど神様のことを思い出すようにすれば、正しい道に戻ってこれるんじゃないかな。

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取扱説明書メーカー

仔猫もやってみたのbleah


取扱説明書メーカー


仔猫さんの取扱説明書

仔猫さんをご使用する際には以下のことに気を付けて下さい。

  • ところどころパーツが取れやすくなっておりますので、ご注意下さい。
  • よきせずに大音量を発することがありますので、ご注意下さい。
  • 長時間の動作を想定していませんので、業務用として使用しないで下さい。
  • 雷が鳴り出したら動作をとめて、すぐにしまって下さい。

また、仔猫さんを以下の場所でご使用にならないよう気を付けて下さい。

  • 静かなところ
  • 葬儀場

仔猫さんが故障かな?と思われる場合は以下のことを試してみて下さい。

  • 白目になるまでは、使用を続けて下さい。

それでも仔猫さんが正常に動作しない場合は。

  • クマのぬいぐるみと交換を致しますので、当社までご連絡下さい。



白目になるまでってcoldsweats02

そしてクマのぬいぐるみと交換するんだ?!

せめて猫にして~ bearing

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2008年2月18日 (月)

サムエル記Ⅰ16章~21章

今日はダビデさんのお話。

サウル王が神様の御心から離れていったとき、神様はあたらしい王としてダビデを選んだの。

サムエルがダビデに会いに行って油を注いだとき、彼はまだ子供だったんだ。

その後、ダビデはサウル王が悪霊に悩まされてるとき、竪琴をひいてサウルの気をおさめたりして、サウルに仕えたの。

そのころサウルはダビデのことを愛して仕えさせてたんだ。

ある日、ペリシテ人との戦いのとき、ゴリヤテという大男が一騎打ちを申し出たんだ。

イスラエル人はみんな恐れて誰も名乗り出なかった。

そこにダビデが、戦いに出ているお兄さんの様子を見にきたの。

ダビデはゴリヤテの話を聞いて、自分が戦うといったんだ。

ダビデはまだ少年だったし、戦いの経験もなかったけど、神様がいるから自分は絶対負けないと言って出ていったんだ。

そしてダビデは石投げと一つの石を使い、ゴリヤテを打ち倒してしまったの。

イスラエル人は喜んで、ダビデをたたえて「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」と歌った。

サウル王はそれを聞いてダビデを疑いの目で見るようになったんだ。

ダビデは名声を手に入れた。次は王位をねらうに違いない、って。

多分嫉妬心とかもあったんだろうね。

それ以降、サウルはダビデを殺そうと考えるようになったの。

でも、ダビデにはいつも神様が付いていて、サウルに殺されることはなかった。

それどころか次々と敵を倒して余計にサウルの憎しみを買うようになったんだ。


サウルも、はじめはダビデを愛してそばで仕えさせていたのに、ちょっとしたことで憎むようになっちゃったんだよね。

王位とか、名誉とか、そういうものに目をとめると大事なことが見なくなってしまう。

ダビデは、王位なんか求めてなかったし、サウルのためによく働いていた。サウルに対してなにも悪いことはしてなかったんだ。

それなのに、サウルは一方的にダビデを疑って、憎んで、殺そうとしていた。

人間的なことに捉われていると、そのままどんどん悪い心が起きてくるんだね。

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2008年2月17日 (日)

サムエル記Ⅰ11章~15章

今日はサウル王のお話。

サウルは王様になって、イスラエルを率いてペリシテと戦い、勝利を収めた。

だけど、その中でサウルは神様の御心にあわないことをいくつかしてしまったの。

13章では、預言者サムエルが来るまでいけにえをささげずに待ってなきゃいけなかったのに、主の命令を無視して勝手にいけにえを捧げてしまった。

また、15章で、アマレクを聖絶せよと言われたとき、羊や牛の家畜を殺さずに持って帰っちゃったんだ。

サウルはたぶん、神様に逆らおうとか思ってやったんじゃないんだろうけど、神様が言ったことを無視するのはいけないこと。

両方とも「自分はこうしたほうがいいと思った。」みたいに言い訳してるけど、神様の考えを無視して自分の考えを正しいとするなんて高慢なことだよね。

あと、サウルは自分でいけにえをささげたり、敵と戦う時に「勝つまではイスラエルの民は何も食べてはいけない」と誓わせたり、神様の御心を見るんじゃなくて、宗教的な行動とか形を重視してなーって思った。

現代でもそうだけど、律法的にふるまうとか立派な行動をするとか、他の人が素晴らしいと思うようなお祈りをするとか、そういうことはあんまり大事じゃないと思うんだよね。

形じゃなくて、神様はどう思われるかなって常に考えていくことが大事なんじゃないかなー。

あと、「主もサウルをイスラエルの王としたことを悔やまれた(サムエルⅠ15:16)」ってところが印象に残った。

この「悔やんだ」っていうのは後悔したってことじゃなくて、「すごく悲しんだ」ってことなんだって。

29節に「イスラエルの栄光である方は…悔いることもない。」って書いてあるしね。

それにこの言葉の前に「サムエルはサウルのことで悲しんだ」ってあるし。サムエルも、主も、サウルのことで悲しんだんだね。

この「悔やまれた」って言葉は聖書の注釈によると、創世記6:6の「主は、地上に人を造ったことを悔やみ…」の「悔やみ」と原語が同じみたい。

創世記のほうは、ノアの箱舟の大洪水の前に、人々が罪を行っているのを見て神様が悲しまれたっていってるの。

神様は、この時と同じように、サウルが罪を犯したとき悲しい思いになったんだよね。

創世記の人々やサウルだけじゃなくて、今の私たちが罪を犯しても、この時と同じように神様は悲しむんだろうなぁ…。

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2008年2月16日 (土)

見えない真実

ちょっとまえに『世界仰天ニュース』っていう番組で、ホセっていう少年についてやってたの。

ホセは、アメリカでとっても有名な霊能力者で、2000年前から転生を繰り返し生き続けているカルロスという霊を自分に乗り移らせて、さまざまな予言をするんだ。

ホセにカルロスが乗り移ったとたん、人が変わったようになって、脈までとまっちゃうの!!

このことがオーストラリアの新聞社やテレビで大きく取り上げられて、オーストラリアの国民はすっかりホセを信じて夢中になっちゃったんだ。

大きなホールで公開予言をやったときなんか、会場は超満員!!

ほとんど全国民がホセを信じ切っていたんだ。

だけどね…







全部でっちあげ!!

「60ミニッツ」っていう国営放送の番組が、霊能力者のインチキトリックを見破ったりしてるマジシャンに頼んで作り上げた偽の霊能力者。

彼らは国民がいかに騙されやすいかってことを証明するために、トリックをつかい、莫大な資金をかけてホセを霊能力者に仕立て上げた。

それでその情報を新聞社に送りつけて、ホセが有名になるように仕向けたんだ。

メディアは「アメリカで有名な霊能力者」っていう肩書だけで話題性があるとして、確認も取らずにホセの特集を組んだりしてたんだ。

そしてみごと、60ミニッツの思惑どおり、国民の騙されやすさが露呈された。


…なんていうか、こんなことして国民騙す番組も番組だけど、騙される国民やメディアも悪いよね。

放送する側は、放送する前にアメリカに確認をとればすぐに嘘だって分かったんだし、国民もテレビの言うことを鵜呑みにしすぎだよ…。

なんかこれを見てて、テレビとかって案外いい加減だなぁとか思っちゃった。


あと、人間って神様とか宗教はあんまり信じない人が多いのに、霊能力とか占いとかはすぐ信じるよね。

やっぱり霊能力者とか占い師とか、目に見えるもののほうが、目に見えない神様よりも信じやすいのかなー。

仔猫は小さい頃からクリスチャンで、目に見えなくても神様がいるって思ってるし、聖書に書いてあることも全部本当の出来事だと思ってるの。

仔猫にとっては神様がいるっていうのは空気があるっていうのと同じくらいあたりまえで、大切なことなんだ。

でも、無宗教の人とかからみると、「なんで神様がいるなんて信じられるわけ?」って感じなんだろうね。

人間ってこのホセみたいに、テレビでバンバン取り上げられてて、目に見えて予言が行われたりしてたら信じられるのにね。

仔猫は「神様はいるんだ」ってことを友達とかに伝えたいと思うんだけど、目に見えないものを分かってもらうっていうのはすごく大変なことなんだよね。

前に友達に、「クリスチャンの人って聖書の話、本当に信じてるんだ!わたしは神話とかそういう物語的な位置づけだと思ってたー。」って言われたことがあるんだ。

そのとき、仔猫は「うん。クリスチャンは聖書の内容を信じてるよ」みたいに答えたと思う。

でも、それじゃぁ「クリスチャンにとってそれが真実」だってことは伝わっても、聖書の内容が本当に「真実」だってことは伝わらないよね。

できればその子にも他の友達にも、神様も聖書も本当のことなんだって伝えたい。

でも、どうすればいいか分からない。

口で説明することはできるけど、それだけじゃぁやっぱり信じられないと思うんだよね。

「海が二つに割れた」とか「死んだ人間が生き返った」とか、普通の人には信じがたいことだもんね。

どうやったら、神様のことを本当に伝えられるのかな…。

昔みたいに、神様の御業がバンバンなされたら信じられるのかなー…

と、思ったけど、今日サムエル記を読んでたらそうでもないかんじだね(-_-;)

やっぱり昔の人も、神様よりも人間の王様のほうがいいみたいだし。

やっぱり目に見えなくて直接話したりできない万能な神様よりも、不完全だけど目に見えて相談とかできる人間のほうがいいのかなー。うーん。


なんかテレビの話から大分脱線しちゃったw

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サムエル記Ⅰ4章~10章

今日はサムエル記の続き。

イスラエルは神様が治めているから、王様がいなかったんだ。

でも、イスラエル人は「周りの国みたいに王様が欲しい!!」って言ったんだ。

それで、サウルという男がイスラエルの王になったんだ。

イスラエルの人々は、自分たちを救ってくださる神様を退けて、人間の王様が欲しいって言ったんだ。

今も昔も、人間って目に見える形あるものに頼りたくなるんだよね。

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2008年2月15日 (金)

ルツ記1章~4章,サムエル記Ⅰ1章~3章

今日はルツ記とサムエル記。

まずはルツ記のお話。

モアブ人のルツは夫の死後、姑であるナオミに故郷の国に帰るように言われるんだけど、ルツは「あなたを捨てて出て行くなんてできません。」と言ってナオミと一緒にベツレヘムまで来たの。

ルツは自分たちの生活のために、ボアズっていう人の畑で落ち穂拾いを始めるんだ。

ボアズはルツの境遇を聞いて、ルツにとても親切にしてくれた。

ルツはその地では異国民だったから、いじめられたり苦労したりしてもおかしくなかったんだけど、ボアズのおかげで不自由な思いをしなくて済んだんだ。

あと、実はボアズはナオミの親戚だったから、買い戻しの権利っていうのがあったんだ。

買い戻しの権利っていうのはイスラエルの律法にかかわることだと思う。律法では部族や氏族ごとに分配された土地が何らかの理由で他の人に渡った時、親族がそれを買い戻さなければいけないって決まってるんだ。これはイスラエル人がカナンに来たときに割り当てられた土地の割り当てが変わってしまうのを防ぐため。

あと、兄弟が死んだとき、その兄弟に子供がいなかったら、彼の名を残すためにその兄弟の妻と結婚しなければいけないっていうことも決まっていたの。もしも、兄弟がいなかったら親戚が代わりに結婚しなきゃいけないんだ。

このへん細かいところは分んないんだけど…(-_-;)

まぁ、とにかくこの買い戻しの権利もあって、ボアズとルツは結婚したんだ。

実はボアズよりも近い親戚の人がいたんだけど、その人は買い戻しによるリスクを考えて断っちゃったんだよね。

ボアズはそのリスクをわかった上で、買い戻しを行いルツと結婚した。

すごいよねー。


よく、ボアズさんのやったことにイエス様があてはめられるんだ。

ルツさんは異国民だったけど、ボアズさんによくしてもらって居場所が与えられた。

それに、ボアズさんはリスクも承知の上でルツさんと結婚した。

イエス様はどんなひとにも分け隔てなく接し、自分の身をなげうって人間を救った。

そういうところに共通点があるんだろうねー。

仔猫は、ボアズさんがルツさんに「自分の畑で落ち穂を拾いなさい」と言ったとき、イエス様も「わたしのもとにいなさい」って言ってくれてるのかなって気がしたんだ。

仔猫は時々、自分に居場所がないって感じることがあったの。

でも、イエス様が私の居場所になってくれるんだって思ったんだ。

そう考えたらとっても嬉しくなってきた♪


次はサムエル記。

今日読んだところで印象に残ったのは、サムエルの母親のハンナについて。

ハンナの旦那さんにはもう一人奥さんがいたんだ。

ハンナは旦那さんにより愛されていたけど子供がいなかった。

もう一人の奥さんはハンナを憎んでいたため、子供がいないことについてハンナに意地悪をしたんだ。

ハンナさんはそれがつらくてつらくてたまらなかったんだ。

それで、ある日、神様に誓願を立てて「子供を授けてください。その子の一生をあなたに捧げます。」ってお祈りしたんだ。

サムエルⅠ・1:15で彼女は「私は主の前に、私の心を注ぎだしていたのです。」って言ってるんだけど、本当に心の中のことを全部打ち明けて、神様を頼ったんだと思う。

お祈りのあと、彼女は帰って行ったんだけど「彼女の顔は、もはや以前のようではなかった(サムエルⅠ1:18)。」って書いてあるの。

お祈りをしただけで、ハンナの重荷は取り除かれたんだ。祈りがかなえられる前に。

こんな風に神様の前に心を注ぎだしてお祈りするって大事なことだと思う。

そうやって真剣に祈れば神様はちゃんと聞いてくださる。

そして神様は祈ったそのときに、ちゃんとその祈りを聞いているんだ。

だから、祈っただけでハンナは気持ちが楽になったんだと思う。

多分、ハンナがちゃんと神様が祈りを聞いてくださるって信じてたからっていうのもあるんだろうけど。

やっぱりお祈りって大切なんだよね。

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2008年2月14日 (木)

全てをあなたにゆだねて

仔猫が聖書通読を始めて、2週間くらいになります。

いつも、読み始めても毎日は読めなかったり、だんだんページ数が少なくなってきたり、最終的には途中でやめちゃったりするんだけど、今回はすごく続いてる。

今は大学が春休みってこともあって時間もあるし。

それにブログに感想とか書いてると、自分で読んだところをちゃんと見直したり考えたりするから、ちゃんと身についてる感じがするの。

今、仔猫は「読まなきゃ!」って感じじゃなくて、「読みたいな」って思って読めてる。

なんていうか、聖書は神様から私たちへの手紙っていうけど、本当に神様が私自身に語りかけてくれてることがあるって実感がある。

なんか、やっぱり神様ってすごいなーって。最近実感してます。


先週の土曜日に、申命記を読んだんだけど、そのなかに「神は人を訓練する。」って言葉があったんだよね。

神様は人間を苦しめることがあるけど、それは人間が最終的に幸せになるため。

それを読んだ次の日、教会でちょっぴりショックなことがあったんだ。

でも、「あぁ、神様は人間に試練を与えるんだ。」ってぼんやりと思ったの。

「これは、幸せになるための訓練なんだ。」って。

今はこれからどうなるかなんて分んないけど、きっと上手くいく。

仔猫は、何をしたらいいか分からないけど、きっと神様が教えてくれる。


実は日曜日からずっと心の中もんもんして、教会いくのもちょっとヤダなーとか思っちゃうくらいだったんだけど、毎日聖書を読んでたら、ちょっとずつ前向きな気持ちになってきたよ♪

まぁ、話聞いてもらったりもしてたわけなんだけどね。

結局どうしたらいいかは分んないけど、今こうなってるのも神様は全部知ってるから。

全てを神様にゆだねて、仔猫は前に進もうと思います。

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士師記11章~21章

なんか士師記の後半はけっこうすさまじいお話だね…(-_-;)

今日読んだところの中ではエフタとサムソンの部分が印象に残った。

11章。エフタは敵のアモン人と戦うときに「もし私が勝てたら、家に帰ったとき一番に迎えに出てきた人を主に全焼のいけにえとして捧げます」って誓願を立てたんだ。

エフタは見事アモン人に勝った。

そして家に帰ったら、なんとエフタの一人娘が彼を迎えにきたんだ。

エフタは悲しんだんだけど、娘は「神様に言ったとおりにしてください」って言ってその運命を受け入れた。

娘は父を責めたり、神様を呪ったりせず、「神様はアモン人に復讐してくださったから」と言って、エフタの誓いどおりになったんだ。

なんか切ないなぁー。。。

神様に何かを祈る時、「代わりに××をします!」とかって言っちゃいけないと思うなー。

神様は代償が欲しくて何かしてくれるわけじゃない。

ただ、人間を愛してるから、神の御業がなされるんだ。

その愛に気付かずに、「神様が自分のために力を貸してくれるなら、自分はナニナニをします。」って交換条件みたいにするのって失礼だと思うんだよねー。

「神様のためになにかしたい!」っていうのも大事だけど、それは自分の利益になるからとか見返りを求めてではなく、「神様のこと大好きだから何かやらしてください!」って感じでやっていくのがいいと思う。

13章からはサムソンの話。

なんか日曜学校とかマンガ聖書物語みたいなのでサムソンさんは力強い英雄ー!ってイメージだったんだけど、改めて聖書で読むとイメージ変わったかもw

なんか結構乱暴者なかんじー?やられたらやりかえすみたいな。

最後には女の人に騙されて力を失っちゃうし。

んー、英雄?

でも実際、当時のイスラエルの敵であるペリシテ人に一人で立ち向かって、多くのペリシテ人を殺したんだから、やっぱりイスラエルの英雄なんだよねー。

これも、神様の霊がサムソンさんと共にあったからなんだよね。

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2008年2月13日 (水)

士師記1章~10章

11日に申命記32:18の「あなたは自分を生んだ岩をおろそかみし、産みの苦しみをした神を忘れてしまった。」ってところの「産みの苦しみ」ってなんだろーってことを書いたんだけど、これは神様がイスラエル人と共に苦難の道を歩んでくださったってことらしいよ。

アブラハム→イサク→ヤコブ→ヤコブの12人の子供たち→イスラエル人っていう風にイスラエル人は生まれたんだけど、神様はイスラエルの先祖の代からずっと彼らと共にいた。

神様はただ見守ってたってだけじゃなくて、ずっと共に歩んできてくれたんだ。

イスラエル人が生まれるまでの先祖たちにはさまざまな苦難があった。そして神様は彼らと一緒に歩んできた。

だから、彼らが苦しい時、神様も一緒にその苦しみを受けてきた。

イスラエル人が生まれる過程で神様も一緒に苦難を味わってきたんだ。

だから「産みの苦しみ」って表現をしたんだね。

「産みの苦しみをした神を忘れてしまった。」っていう表現は、神様がイスラエル人と共にいてくださることを忘れてしまったってことなんだよね。

彼らは神様が一緒にいることを忘れて、苦しさに負けて、他の神々に仕えたり主が嫌われることをしたんだよね。

苦しい時でも神様が一緒にいてくれるってこと、忘れずにいたいな。

そしたらきっと、苦しさに負けないで、神様を見上げて歩んでいけると思うんだ。


そして今日は士師記。

エジプトから脱出したイスラエル人は、モーセの死後、ヨシュアと共に約束の地を占領していったの。

神様はヨシュアと共にいたから、イスラエルはことごとく勝利をおさめ、繁栄していった。

だけど、ヨシュアの死後、イスラエル人は神様を忘れてほかの神々を拝み、悪いことをしだしたんだ。

それで神様はイスラエル人をミデヤン人たちの手に渡して苦しめた。

だけどそのあと神様は、ギデオンという人を遣わして、イスラエル人を救ったんだ。

ギデオンはたった300人の人々と共に、数万もの敵と戦い、勝利を収めたの。

神様が付いていれば人数なんて関係ないんだね!!

神様はギデオンを遣わすとき、「わたしはあなたといっしょにいる。だからあなたはひとりを打ち殺すようにミデヤン人を打ち殺そう(士師記6:14)。」って言ったんだけど、本当にそうだなぁって思った。

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2008年2月12日 (火)

ヨシュア記1章~24章

今日はヨシュア記を読んだよ。

モーセが死んだあと、イスラエルの指導者はヨシュアになったの。

神様はヨシュアに「強くあれ、雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである(ヨシュア記1:9)。」って言ったんだ。

ヨシュアさんはそのあと本当に神様の祝福のもの、雄々しく、そして強くあった。

約束の地に住んでいる主に従わない人々と戦い、次々と勝利をおさめていった。

すごいよねー。

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デスノート

この間、ビデオに撮ってあったデスノートの映画をみたの。

藤原竜也と原作の月が好きだから、藤原・月にときめきながら見てたw

以下、微妙にネタバレありかも。








マンガはLが死んじゃうところらへんまで見たんだけど、結構マンガと映画と感じ違うねー。

でも面白かった。

仔猫的には最後は月に勝ってほしかったんだけど、Lの勝ちだったねー。

両方死んじゃうんだけど。

でも月の最後はちょっと悲しかったなー。

漫画でも月死んじゃうらしいんだけど、どうなるのかなー。

続き読みたくなってきた(>_<)

あと、ちょっと思ったんだけど、Lは最後に自分の名前をノートに書くとき、「犠牲者を出さずにみごとキラを逮捕し、寿命をまっとうして老衰」とか書けばよかったんじゃ…。ダメかな?

てかデスノートのルール的に老衰って有効なんだろうか。

もし、有効なら世界中の人間の名前を集めて「幸せな人生を送り、老衰」とか書けば、犯罪も事故も病気もなくなるんじゃw


そういえば今、Lの映画やってるよね。

あれもみたいなー。

でも予告編見る限り、デスノートまったく関係なさそうなんですけど。

Lが出てくるだけ?

月でてくる続編とかでないかな…←無理

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2008年2月11日 (月)

申命記25章~34章

申命記終わりました!

なんかこの辺は、神様に逆らったら不幸になるみたいなことがいっぱい書いてあって、ちょっと怖いなーって思った。

特に申命記28:63の「かつて主があなたがたをしあわせにし、あなたがたをふやすことを喜ばれたように、主は、あなたがたを滅ぼし、あなたがたを根絶やしにすることを喜ばれよう。」っていう箇所、恐ろしー!

でも、「主は、あなたの先祖たちを喜ばれたように、再び、あなたを栄えさせて喜ばれる(申命記30:9)。」とか「主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない(申命記31:6)。」tあるように、神様は再び人間を栄えさせてくださる。

間違った道に進んだら、ちゃんと罰を与える。そして苦しい目にあうことによって、人間は神様を求める。

うーん。苦しい目に会うのは嫌だけど、幸せいっぱいだったら神様から離れてっちゃいそうだもんねー。

あと、「まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる(申命記30:14)。」って言葉がすごくいいなーって思った。

みことばは、難しくて実行不可能なものじゃなくて、日々実践していけるものなんだよね。

あと、「あなたは自分を生んだ岩をおろそかみし、産みの苦しみをした神を忘れてしまった(申命記32:18)。」ってところの「産みの苦しみ」ってなんだろう?

神様は万能で、人間を作ることなんて簡単なんだと思うんだけど…。

わざわざ「あなたを産んだ神」じゃなくて、「産みの苦しみをした神」にするのには何が意味があるのかな?

神様から人間が生まれたことや神と人間の関係が親子的であるのを強調するため??

わかる方がいたら教えてください…。

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2008年2月10日 (日)

申命記21章~24章

今日読んだ箇所は、イスラエルへの戒め。

こういうことがあったらこうしなさい、みたいなカンジ。

今日印象に残った個所は「主は、あなたのために、のろいを祝福に変えられた。あなたの神、主は、あなたを愛しておられるからである(申命記23:5)」ってところ。

神様にかかれば呪いも祝福になってしまうなんてすごいよね。

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ブログお引越し。

ブログのアドレスが変わりましたー。

仔猫はココログというブログサービスを利用してるんだけど、これにはいくつか種類があるの。

で、今までは完全無料のフリーというプランでやってたのです。

他にもプランがあって、たとえばベーシックというやつは@ニフティの会員さんは無料で使えるというのがあるだ(@ニフティ会員は有料)。

そしてあとから気が付いたんだけど、仔猫は有料メールアドレスをとった時に@ニフティのアカウントをとってたんだよ!

つまり、フリーでもベーシックでも無料。

となるとベーシックプランを利用したほうがお得なんだよね。

まぁ、広告がなくなったくらいなんだけどw

ってわけでー、プラン変更に伴ってアドレスが変わりましたー。

まぁ、見た目とかあんまり変わってないけどね(-_-;)

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2008年2月 9日 (土)

申命記1章~20章

今日は申命記。

申命記の中に、「恐れるな」って言葉がいっぱい出てくるんだ。

神がイスラエルの民に与えると言われた地は、豊かでとても良い地だった。

だけど、そこに住んでいる人は大きくて、とても強そうだったんだ。

だから、イスラエル人ははじめ、「こんなやつらと戦っても勝てない!!この地からやつらを追い出して住むなんて無理!!」とか思っちゃったんだよね。

でも、神様は「恐れるな」と言ってその地へ行けと命じられた。

どんなに強い人たちがいても、イスラエル人には神様がついてるから恐れる必要はないんだよね。

聖書には「恐れるな」って言葉が365回出てくるらしいんだよね。

私たちには毎日神様が付いているから、一年のうち一日も恐れるような日はないんだよねー。

仔猫は、悩んでたとき、聖書の「恐れるな、私はあなたと共にいる」って言葉に励まされたことがあるの。

どんな困難でも、神様が一緒にいてくれれば怖くないよね。

あと、「あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されれることを、知らなければならない(8:5)」ってあるんだ。

どんな困難なことも、神様さまの御手の中で起こっている。

辛いことは神様の訓練。

だから、それは人間が不幸になるためのものではなく幸せになるためのものなんだ。


そう思ったら、なんか辛いことでも乗り越えられるような気がしてくる♪

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2008年2月 8日 (金)

民数記1章~36章

今日の内容の前に昨日のレビ記部分の補足。

昨日、レビ記の21章の「身に欠陥のあるものは~」ってとこを読んで、差別的かなーって思ったって書いたんだけど、ちょっとそこ引っかかってたんだよね(-_-;)

神様は差別とかするような方じゃないし、なんか意味があるんだろうなーって思ってたんだけど、よく分んなかったの。

で、今日、他の人に意見を聞いてみたんだー。

そしたら、「パッと見誤解しやすい部分だけど、これは神様にはより良いものをより良い形で捧げなきゃいけないってことなんだ。」って言われたのー。

神様に捧げるものは一番良いものじゃなきゃいけない。

もちろんそれを捧げる方法とかも一番良いようにやらなければいけない。

だから、捧げものをする人が身に欠陥がある人じゃダメなんだね。

だから、これは差別とは違うんだよね。

あと、ちょっと思ったんだけど、やっぱり障害のある人は不自由な部分もあるだろうし、そういう人が捧げものをしなくて済むようにっていう意味もあったのかなー。

あえて大変な思いをしてそういう人が奉仕をしなくても、できる人がやればいいんだし。

障害を持ってる人も、「なんで自分は捧げものの奉仕をいちゃいけないんだ、自分だ十分この仕事、できるもん。」って思うんじゃなくて、謙遜して身を引かなきゃいけないんだよね。

現代の教会でも、できないことを無理にしようとするんじゃなくて、できることをできる人がやってけばいいんだよね。

「自分は十分能力があるからなんでもやってやる!!」っていうんじゃなくて、「神様に与えられた賜物を生かしてできることをやる!!」みたいな。

そして今日は民数期を全部読んだんだー☆

レビ記はなんか悪いことの事例みたいなのがいっぱいある気がするw

イスラエルの民は、エジプトを出てからつぶやいたり、神様を疑ったり、いろんな罪を犯してきたけど、神様はちゃんと約束の地まで守ってくれたんだよね。

ひとつひとつの罪に大して、神様の怒りはあったけど、最後まで神様はイスラエル人を見捨てなかったんだー。

すごいよね!

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2008年2月 7日 (木)

レビ記15章~27章

レビ記終わりー!!

やっぱちょっと難しかったなー。

17章。

肉を血が入ったまま食べちゃいけない、血のなかにいのちがあるからみたいなことを書いてある場所があるの。

ここで、神様は「わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなた方に与えた。いのちとして贖いをするのは血である(レビ記17:11)。」って言ったんだ。

「これをあなた方に与えた」のこれっていうのは血のことだろうね。

私たちの命の贖いには、血が必要。

だから当時の人たちは罪の許しとか、清めのために生贄を捧げたんだよね。

でもこの命の贖いを、イエス様がまとめてやってくれたんだよねー。

昨日も書いたけど、これってほんとにすごいことだよね。

イエス様の十字架がなかったら、きっと今でもクリスチャンは生贄を捧げなきゃいけなかったんだろうねw

あと、21:17くらいから「身に欠陥があるものは捧げもののときに近づいてはいけない」