2008年7月 5日 (土)

千年王国論

この前学校の「宗教史」の授業のレポートで、千年王国論について書いたの。

「千年王国」って黙示録でちょろって読んだくらいで深く考えたことなかったんだけど、結構色んな考え方があるのねpig

ちょっと面白いな~って思ったから少し紹介notes

千年王国のもとになるのはここの箇所。

「また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生きて、キリストとともに、千年の間王となった。その他の死者は、千年の終わるまでは、生きていなかった。これが第一の復活である。この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。(黙示録20:4-6)」

で、千年王国に対するキリスト教の立場は3つあるんだ。

千年王国前再臨説:キリストが再臨する時、死んだキリスト教徒は復活し、生き残っているキリスト教徒たちと共に空中で主と出会う。そして地上をキリストと共に千年間支配する。これがいわゆる千年王国のこと。そしてこの千年の終わりの時にすべての死者が蘇り、最後の審判が行われる。このときキリストの救いに預かり永遠の命を与えられる者と、キリストを信じずに永遠の死に至る者とに分けられる。そして古い天と地は消え去り、永遠の命を与えられた者のための新しい天と地が創造される。

千年王国後再臨説千年王国の後にキリストの再臨がある。ここでは千年王国=この世での福音の勝利による霊的な祝福期間。

無千年王国説聖書における千年王国は、比喩的なものであり実在しない。キリストの初臨から再臨までの千年のことの象徴であり、教会の中に千年王国は完全に再現されている。

こんな感じ。

中世ヨーロッパのローマ・カトリック教会は③の立場を正式な教えとしていたんだって。

でも、聖書を文字どおりに解釈すると①になるんじゃないかなーって思うんだけど、実際その判断は難しいらしいの。黙示録20章にはキリストの再臨について言及してないからねsweat01

ちなみに黙示録以外にも「千年王国」を暗示するような箇所があるんだ。

「この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。(ダニエル2:44)」「国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。(ダニエル7:27)」

旧約にもこういう個所があるから、ユダヤ教の中にも「千年王国」的な考え方があるみたい。

ちなみにノーマン・コーンの『千年王国の追及』って本に、歴史的なこととかも含めていろいろ書いてあるよ!(仔猫はこれを参考にレポートを書きましたw)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年7月 3日 (木)

エゼキエル書1章~6章

6月29日~7月3日で1章ずつ読んだのshine

この中で、3章18~21節がすごく印象に残ったんだsign03

ちょっと長いんだけど…

「わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ。』と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪者に悪の道から離れて生きのびるように語って、警告しないなら、その悪者は自分の不義のために死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。もしあなたが悪者に警告を与えても、彼がその悪を悔い改めず、その悪の道から立ち返らないなら、彼は自分の不義のために死ななければならない。しかしあなたは自分のいのちを救うことになる。もし、正しい人がその正しい行ないをやめて、不正を行なうなら、わたしは彼の前につまずきを置く。彼は死ななければならない。それはあなたが彼に警告を与えなかったので、彼は自分の罪のために死に、彼が行なった正しい行ないも覚えられないのである。わた しは、彼の血の責任をあなたに問う。しかし、もしあなたが正しい人に罪を犯さないように警告を与えて、彼が罪を犯さないようになれば、彼は警告を受けたのであるから、彼は生きながらえ、あなたも自分のいのちを救うことになる。」

ここを読んで、伝道って大切だな~って思ったsign01

救われる可能性がある人に、何も伝えないでいるっていうのはいけないことなんだなぁって。

今すぐにバンバン伝道するっていうのは難しいけど、身近な友達に「教会来ない?」って一声かけるだけで何かが変わるかもしれない。

やっぱ神様を伝えるって大事だよねhappy02

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月28日 (土)

哀歌1章~5章

24日~28日まで1章ずつ読んだのっhappy02

哀歌は「哀しみの歌」って書くだけあって、裁きとか辛いことについてたくさん書かれている。

でも、その中にも少し希望が感じられる箇所もあるんだshine

「主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。人が、若い時に、くびきを負うのは良い。それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。 主は、いつまでも見放してはおられない。たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。 主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。(3:25-32)」

哀しみの中にも希望があるって素晴らしいよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月23日 (月)

エレミヤ書43章~52章

19日 43章~46章

20日 47章~48章

21日 49章

22日 50章

23日 51章~52章

エレミヤ書おわりっ♪

明日から哀歌だ!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月20日 (金)

エレミヤ書27章~42章

13日 27章~29章

14日 30章~31章

15日 32章~33章

16日 34章~37章

17日 38章~39章

18日 40章~42章

19日 43章~46章

20日 47章~48章

ってかんじで読みました♪

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月18日 (水)

X-tension

今日はサークルで合同聖研をやったのhappy01

うちの大学はキャンパスが二つに分かれてて、サークルも普段は別々にやってるんだけど、合同聖研のときは一緒にやるんだ♪

X(キリスト)に従うときのtension(緊張)というのをネヘミヤ記の1章から学んだんだscissors

当時のユダヤ人は捕囚によって他の地へつれていかれ、残った人々も他の国の人からバカにされたりしてて大変だったんだって。

しかもユダヤ人が住んでいたエルサレムは、城壁が崩れてボロボロだったの。

この時代、国を囲っている城壁は他国から国を守るための大事なもので、城壁自体がその国を象徴するような存在だったんだ。

だから「城壁が崩れる=エルサレムという国がなくなる」ってことなんじゃないかな?

だけどこれはユダヤ人が起こした罪によって引き起こされたことなんだ

私はこのことばを聞いたとき、すわって泣き、数日の間、喪にふくして、断食して天の神の前に祈って、言った。「ああ、天の神、主よ。大いなる、恐るべき神。主を愛し、主の命令を守る者に対しては、契約を守り、いつくしみを賜わる方。どうぞあなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエル人のために、昼も夜も御前に祈り、私があなたに対して犯した、イスラエル人の罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。私たちは、あなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった命令も、おきても、定めも守りませんでした。(1:4-7)

ネヘミヤも祈りの中で言っている通り、ユダヤ人は主なる神を捨てて他の神々に従ったり神との契約を破ったりした。

ユダヤ人は自ら神様から離れて、神様に罰せられたり見捨てられたりしても仕方ないぐらの罪を犯したんだ。

それでもネヘミヤは神様に助けてほしい!って祈ったんだ。

しかしどうか、あなたのしもべモーセにお命じなったことばを、思い出してください。『あなたがたが不信の罪を犯すなら、わたしはあなたがたを諸国民の間に散らす。あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行なうなら、たとい、あなたがたのうちの撒き散らされた者が地の果てにいても、わたしはそこから彼らを集め、わたしの名を住まわせるためにわたしが選んだ場所に、彼らを連れてくる。』と。(1:8-9)

この「こんな風になっても仕方ないくらいの罪を犯しちゃった…でも助けてほしい!!」っていうのがネヘミヤのX-tension、キリストに従う際の緊張なんだ。

ってかんじのことをやりましたshine

ちなみにテキストにそってやってたんだけど、2項目ほど時間関係でできなかったの。

で、出来なかったところを個人的にやってみたんだ♪

①ネヘミヤって名前は「ヤハウエが慰めてくださった」って意味なんだ。それで、ネヘミヤは祈りの中でどんな神様の慰めを期待したのか。

②この章での神の国の建設とはなんだろう?そして私たちにとっての「神の国の建設」とは?

って感じの設問が残ってたの。

ネヘミヤは神の憐れみと罪の許しを期待してたんだと思うの。

これらの者たちは、あなたの偉大な力とその力強い御手をもって、あなたが贖われたあなたのしもべ、あなたの民です。ああ、主よ。どうぞ、このしもべの祈りと、あなたの名を喜んで敬うあなたのしもべたちの祈りとに、耳を傾けてください。どうぞ、きょう、このしもべに幸いを見せ、この人の前に、あわれみを受けさせてくださいますように。」 (1:10-1)

上でも書いたけど、ここでのネヘミヤは「罪はあるけど助けて欲しい」って思ってた。

だけどこの「罪」は大きすぎて「助けてもらう」ことに対する障害となってしまう。

だから、神様の憐れみによってこの罪を許してもらえば助けてもらうことができる。

これがネヘミヤにとって「慰め」になるんじゃないかな。

そして、ここでの「神の国の建設」っていうのは「ボロボロになったエルサレムを再建する」ってことと対応するものがあるんじゃないかな。

エルサレムを再建するには散り散りになったユダヤ人が戻ってくる必要がある。

そして9節(上で引用)にあるように、神様に立ち返るなら神様は人々をもう一度集めると言っているんだ。

つまり、神様に立ち返ればエルサレムの再建ができる。

だから神様に立ち返って信仰を確かにするということがここでいう神の国の建設なんじゃないかな。

現代の私たちにとっても、信仰を確かにして(神様から心が離れている人は戻ってきて)神様に仕えるということが「神の国の建設」なんじゃないかなー。

以上が仔猫の考えです。

今日のことをまとめると…

私たちはいろいろな「キリストに仕える際の緊張」を感じるけど、祈ることによって神様の方から緊張をほぐしてくれる。

そして確かな信仰をもつことでそれぞれ神の国の建設に携わることができる。

そういうことかなー?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月13日 (金)

DS☆

Ca61qd0c ニンテンドーDSのデコカバーとソフトを買ったのhappy01

カバーはチョコレートパフェのデザインで、とってもおいしそ~heart01

でもこれ、このまま鞄に突っ込んだら壊れそうで怖いsweat02

持ち運ぶときは前に使ってた普通のシリコンカバーに付け替えなきゃだ!

ソフトは「もっとTOEIC TEST DSトレーニング」。

前から英語関係のソフトをやってみたいな~って思ってたんだけど、タイミングよくこのソフトが発売したから買っちゃったhappy02

このソフト、前作があるんだけど、それが結構評判良かったみたいだからこのソフトも良いに違いない!!笑

ちょっとやってみたけど、結構楽しんで出来そう♪

毎日やったら英語上達するかな~?

がんばるぞーscissors

| | コメント (2) | トラックバック (1)

エレミヤ書24章~26章

6月11日 24章

6月12日 25章~26章

26章では神様がエレミヤを通じて神から離れた人々を立ち返らせようとするの。

「彼らがそれを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしは、彼らの悪い行ないのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直そう。(エレミヤ書26:2-3)」

この箇所からわかるように、神様は人々に悔い改めのチャンスを与えたんだ。

神様の憐れみがあらわれてるよね。

でも祭司や預言者はエレミヤの言葉を聞いても信じなかったんだ。

そしてエレミヤを死刑にしようとした。

彼らは神様の憐みに気がつかず、「自分たちに災いが下るなんてとんでもない!」とエレミヤの言葉を拒絶したんだね。

こんな風に、悪いところから目をそむけようとしていると、神様の憐れみを見落としてしまうかもしれない。

罪を犯したらそれを受け入れて、悔い改めなきゃね。

ちなみにエレミヤは殺されそうになっても語るのをやめなかったんだけど、彼の言葉を受け入れた人の訴えによって死刑にならなかったんだ。

あと、26章の最後の部分にウリヤという預言者のことが少し書いてあるんだ。

彼はエレミヤと同じような予言をしたんだけど、殺されそうになって逃げてしまったの。

でも彼は追ってきた人々に捕まって、結局殺されてしまったんだ。

殺されそうになっても預言を続けたエレミヤと逃げたウリヤ。

なんだか行動も結果も対照的だよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月10日 (火)

エレミヤ書23章

気がついたらもう聖書の半分読んだんだねgood

半年で半分だから今年中に読み終わりたいなhappy01

でも最近1章ずつしか読んでないから難しいかも…?

今日読んだ中で印象に残ったのは「わたしは近くにいれば神なのか、ー主の御告げ。ー 遠くにいれば、神ではないのか。人が隠れたところに身を隠したらわたしは彼を見る事ができないのか。ー主の御告げ。ー 天にも地にも、わたしは満ちているではないかー主の御告げ。ー(23:23-24)」ってとこ。

なんかうまく言えないけど、私たちがどうであれ神様は神様なんだよ。笑

自分がどこにいても神様は変わらずそこにいる。

時間も場所も、何をしてるかとかどんな気分だとかそんなの関係なしに神様は私たちを見ている。

だから、苦しいときとかは神様を頼ればいいし、悪いことをしたら謝らなくちゃいけない。

嬉しいことがあったら感謝すればいいし、願いがあれば祈ればいい。

そんな風に、神様は神様で、いつも一緒にいてくれるってことを忘れずにいれたらいいと思うなshine

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年6月 9日 (月)

イザヤ書60章~66章、エレミヤ書1章~22章

1か月近く更新が止まってたwobbly

うーん…もうちょっとこまめに色々書きたいなぁー。

聖書は一日5月13日から1日1章ずつよんでエレミヤの22章まで進んだよsun

この中でエレミヤの1:7が印象に残ったんだwink

「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。」

若くても、知識や能力がなくても、神様が遣わされたのなら、神様は私たちを助けてくれる。

仔猫は「自分じゃできない…」とか思っちゃうことがあるんだけど、自分の力でなにかをやる必要はないんだよね。

必要な力を神様が与えてくれるんだup

何かやるとき、祈って神様に力をもらいながらやっていけばいいんだhappy01

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«イザヤ書57章~59章